「対話の日」始めてみます。
「書く」ことについてはよく考えるけれど「読む」ことについてはあまり考えていなかった。少し前に書いたこちらのnoteでは、書くことが生産なら、読むことは消費なのだろうかという問いで終わっていた。
「読むことは消費」は違うと思う。ではなんなんだ。いろいろ考えた。最終的には「読むことは対話」という定義がしっくりくると思った。
どこかで聞いたこともあるし、自分でうっすら考えたこともある。でも、自分の言葉で言語化したことはなかった。
昨日kaoruさんのnoteを読んで、「読むことは対話」という考えを、後押ししてもらったような気持になった。
書くことは自分との対話であると。この言説は正しいと思うが、その趣旨は自分を他者とすることにあるはずなのだ。
自分を対話の相手方としての他者にしたい、客体化したいのであれば、よりリアルな客体とするために他者の目に晒すべきなのだ。
とても腑に落ちた。
最近私が書いているnoteはまさに「自分との対話」で。
どうして個人の日記じゃいけないの?という問いに対して、「人に見られることで、言葉や内容が整理できるから」くらいに思っていたが、書いた文章をリアルな対話の相手方にするためには、「自分も含めた、その他大勢の読み手」という環境が不可欠なんだと。
と考えると、文章を書くことが自分との対話なら、誰かが書いた文章を読むことは、その誰かとの対話なんじゃないかと。だから「読むことは対話」という定義に自信がもてたのだった。
少し前から、誰かのnoteを読んで、少しだけコメントをすることを意識するようになった。コメントをしようと読むことで、ただ読むよりも少し深いところまで読めるような気がしたから。
「深く読む」ことはまだまだ難しいけれど、少しずつできるようになりたい。
コメントすることは続けつつ、さらに深く読むための何かをしたいと思うようになった。
少し前、折星かおりさんに感想文を書いていただいたときのように、私も誰かのnoteを読んで、感じたことや思ったことを添える、そうしながら書き手の方と対話してみたいな、と。
ということで、「対話の日」なるものをはじめたいと思います。端的に伝えると「あなたのnoteを読みたいです」ということです(笑)読んで、感想を伝えさせてください。
感想は私のnoteで紹介したいと思っていますが、紹介してほしくない方がいたら、TwitterのDMで感想をお返しするでも構いません。
「対話の日」
・こちらのコメントかTwitterのDMで、書いたnoteのリンクをお寄せください。(内容は問いません。この文章を通じて対話したいなぁと思うものをぜひ!数も問いません。)
・応募期間は特になし!
・コメント頂いた順に、感想を添えて私のnoteで紹介させていただきます。(週1回ペース予定)
※こちらの応募は締め切りました。また再開するときにお知らせします。
※自分でnoteを探しにいくスタイルでなくすみません。ただ、応募してもらうことで偏りなく、いろんなnoteが読めるかなと思いました。
「note読みます」企画自体はいろんな方がされていらっしゃるのですが、「対話したい」という気持ちが大きいです。
もちろん読むには変わりないのですが、読むこと=対話をすることを通じて、自分にとって新しい気づきがあるかもしれないですし、感想を添えたことで書き手の方に何か気づきがあれば、こんなにうれしいことはないです。
初企画ですが、集まるのだろうか…。やってみないとわからない。
もし誰からの応募もなかったら、勝手に載せちゃうかも。
あれ、企画の意味が(笑)
ゆるーく応募をお待ちしています!
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