人生に、自分で節目を作るとは。
対話の日。第四回目は、さいとうりょうたさんのこちらのnoteです。
学生の頃は、「入学」と「卒業」が明確に設定されていた。
それだけでなく、進級や入部、引退など様々な節目があった。
その節目は、用意されていた。
子どものときはあまり意識していませんでしたが、言われてみると「節目」と呼ばれるタイミングはたくさんありましたね。言い換えると、行事や季節のイベント等が、自然と「節目」になっていた、という感じでしょうか。
そもそも「節目」とは何なのか。改めて調べてみると、このような意味がありました。上記でいう所の「節目」は、2つ目の意味ですね。
1 木材・竹などの節のあるところ。
2 物事の区切り目。
出会いと別れ、始まりと終わり。期間が決まっている学校生活の中では、そういった区切りが自然と発生していましたね。区切りがあることで、「メリハリ」が生まれていた。
そう考えると、メリハリがある中で生活できていたのは、その当時は当たり前だったけれども、当たり前ではなかったのですね。
昇進や異動はあるが、明確な節目は用意されていない。
社会人2年目の私は、それに戸惑っているのかもしれない。
人生の中で、社会に出てからの時間の方が圧倒的に長い。区切りのない、まっすぐな道がどこまでも続いているように見えて、戸惑いを覚えてしまうのは、きっとさいとうさんだけではないと思います。
休憩ポイントがなかったり、もしくはずっと景色が変わらない場所を走れと言われたら、けっこうしんどくなってしまうだろうなぁ…と思いました。
そんなときに立ち返りたいのが、「節目」のもともとの意味ですね。(もとになっている高岸さんの記事も拝読しました。)
竹というのは強くて丈夫だけれども
節があるからこそ強くあれる
竹は確かに、そもそも固い。でも節の部分はもっと固い。以前、丸のままの竹を加工した経験がありますが、節の部分は特に切ることが難しかったです。
あの節があるからこそ、竹は強くあれる。強風が吹いても簡単に折れることなく、しなやかであれるのだと、さいとうさんの記事を読んで改めて気がつくことができました。
社会に出たら、自分でその節目を見つけていく必要があると思った。
入学や卒業のように大きな節目でなくてもいい。
1週間や1ヶ月短期的な節目を意識して生活していこう。
子どものときの節目は用意されていることが多かったけれど、社会に出てからの節目は、自分の意志をもって作る必要がある。
そう考えると「目標」に近いのかな、と感じました。
目標を決めると、そこに向かおうというエネルギーが生まれる。自分で決めた目標ならなおさら、達成したいと思う気持ちが強くなる。よいエネルギーが生まれている状態が「強さ」なのかなと思いました。
目標に向かって進み、達成するかもしれないし、しないかもしれない。でもそれに関わらず、何かしらの結果は残る。その結果たちが、長い目で見たときに人生の「節目」になっている。
人生をふりかえったときに見えた節目は、人生でどれだけのことにチャレンジしてきたか、とも言い換えられるのかもしれないですね。
チャレンジの軌跡が、節目。
それがたくさんあるほど、ちょっとやそっとじゃ折れない、しなやかな、竹のように強い人であれるのかなと思いました。
さいとうさん、このたびは対話させていただきありがとうございました。「節目があることが、どのように人の強さに結びつくんだろう」と問われているような気がして、私は上記のように考えてみました。そして、とても新鮮な気づきを得ることができました。
もし、解釈が乖離している部分があったらすみません。でもこうして、他の方の記事から考えて記事にして、また違う人のもとに届くってなんだかいいなぁ…と感じました。
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