「違和感」に慣れる前に。
私は大学4年生の2月末時点で、就職先が決まってなかった。
今、もし周囲にそういう学生がいたら心配になるだろうし、いろいろあったんだろうな…とその心中を察すると思うが、自分のことだと思うと、笑えるような、でも笑っちゃいけないような、何とも言えない気持ちになる。
先生になることを、疑わず。
大学に入学した時は、幼稚園の先生になるつもりでいた。
学科的には幼稚園や学校の先生になる人が多いが、民間企業に就職する人も一定割合いた。
私は先生志望だったため、教職は取るけど先生は目指していないという話を聞くと「え、苦労して教職取るのに先生にならないの?なんで?」と心の中で思っていた。この授業、受けてる意味あるのかな、とか。(えらそう…)私は幼稚園の先生になるんだ、と思いながら過ごしていた。
その間、子ども関係のNPOに出会い、ボランティアとしてかなりの時間を費やしてた。楽しい中にも子どもの学びをきちんと考えていて、先生ではない、こういう関わり方もあるんだ、とすごく楽しかった。(今このNPOで働いてる。)
単純すぎる思考。
そんなこんなであっというまに大学4年生に。
6月ごろに小学校で教育実習があった。クラスは1年生。
だいたい3〜4年生になることが多いから、1年生は珍しいと思う。とにかくかわいくてかわいくて。良くも悪くも模擬授業をあまりさせてもらえなかったので、実習内容としてもそこまでハードすぎず、毎日子どもと会えることがひたすら楽しかった。
この実習の経験で「小学校の先生になるの、いいかも」と思った。
でも4年生の6月なんて、その年の教員採用試験の出願はとっくに終わってる…
じゃあどうしよう。
うーん、、
とりあえず、小学校でバイトしてみよう!と思い立った。
おおい…まずは就活だろ…
と今だったら思うけど、「なんとかなるだろう」精神でいたみたいです。
迷走が始まる。
ボランティアは続けていたので、そのNPOに「働きたい」と申し出てみたりもした。やっていることには共感していたし、自分の意に沿わない仕事をするよりはお給料が少なくても全然いい!と思っていた。
でも話をしに行った時に、「やる覚悟があるなら、ここで働きたい気持ちを周りに話して、20人の署名を集めてこい。そしたら考えてもいい」と言われて、あ~やっぱり覚悟がいることなんだな、自分はそこまでの覚悟がないかもなあ…と思って、結局身を引いた。
しかも「小学校の先生いいかも」と思って始めたバイトの中で、「あれ、私は勉強を教えることがやりたいのか…?」と思い始めてきてしまった。
実際に小学校の現場に入ってみて、改めて先生の仕事の中心は勉強を教えること(もちろん学級運営や生活指導もあるけど)で、私は子どもが足し算や引き算を覚えてできるようになっていくことに、あまり興味がないことに気づいてしまった。(いや実習で気づけよ…)
ああ、どうしよう。
それで次に考えたのは、児童館職員や、学童の職員。
その時期では非常勤の枠しかなく、いくつかの場所で採用面接を受けてみた。
子どもと遊びながら過ごせる。その中での成長を支えられる。
きっとここが自分にはぴったりだ!と思っていたら、見事にすべて落ちてしまった。それが大学4年生の2月末。
もう来月は卒業式。
決まらずに卒業するのはやばい。
どうしたらいいんだろう。
と、泣きついたのはNPOの代表のところ。
どうしたらいいんでしょう…と現状を話したら「一番初めに何をやりたかったのか、思い出してみたら?」と言われて。
一番初め…?
ああそうか。私は幼稚園の先生になりたくて大学に入ったんだっけ。
それで今どうしてこうなっているんだろう。
あっちに行ってこっちに行って。
結局は学習指導をしたいわけじゃなくて、遊びの中での成長に携わりたいと思ったんだった。
あ、それって幼児教育そのままじゃん。
あれ、幼稚園の先生でいいじゃん。
なんか笑っちゃうけど。
でもこうだったんだよなあ。
初心に戻れと言われたら、「幼稚園の先生」がぴーんとつながって、それでいいじゃん、それがいいじゃん、と思ったのだった。(あの助言はありがたかったなぁ。。)
縁がつながって。
そんな時期でも私立幼稚園の採用はまだやっている所もあり、本腰入れて就活するために、小学校のバイトを辞めようと校長先生の所に行ったとき。
事情を話すと、「公立幼稚園で非常勤教員の登録ができないか、聞いてみてあげる」と役所に連絡をしてくれて、その翌日には面接ができることに。
登録と採用は別だから、私立の方の就活もしなきゃな…と思っていたら、翌日に役所から「空きが出ました。4月から○○幼稚園に来てください」との電話が。
わあ、なんと就職、決まった…!
何も決まってなかった時から1週間位のできごと。トントン拍子に就職先が決まってしまった。
いろいろなご縁がつながって、助けられて。
感謝してもしきれなかった。
人生で大切なことって。
今就活をしている方々に、こんな自分のエピソードをもとに「これでも今何とかなってるから大丈夫だよ」なんて無責任なことは言えない。
危ない橋渡っていたし、右往左往できていたのは環境的にも金銭面的にもありがたいことに余裕があったから。
でも最終的に、非常勤だったけど自分が一番納得いく場所に就職ができて、迷走した期間も悪くなかったというか、必要な期間だったなと思えた。
こういう経験をふりかえって人生で大切なことって何だろう、と考えたときに、私は「違和感」をそのままにしないことなんじゃないかと思う。
日々生きていて、なんかもやもやするな、なんか違う気がするんだよな…と思うことがあった時に、違うなと思う気持ちよりも、今進んでしまっていることの方に、自分の気持ちを合わせてしまうことって、結構あるんじゃないかな。
そうしているうちに、違和感という感情がだんだんなくなっていき、その違和感に慣れてしまう。感じたことも、忘れてしまう。
それはそれでいい場合もあるだろうけど、もう少し進んだ後に「あの時ああしていればよかったなあ…」と思った時にはもっと戻れないところまで来ているかもしれない。
だから、違和感を感じたそのときに行動してみることって結構大事なんじゃないかと思う。
幼稚園の先生も、5年続けてやっぱり少し違和感を感じ始め、公務員で安定していたけどえいや!でNPOに転職した。
それは、その時に行動していてよかったと思う。
その5年間は必要だったし、そのタイミングでの転職は後悔してない。
自分の行動の結果ですべてうまくいったなんて思っていなくて、人の縁やタイミングがうまく重なって進んでこられた。
ただご縁やタイミングも、その時の自分がこうした方がいい、これはなんか違う、という思う感覚をないがしろにせずに進んできたから得られたようにも感じる。
違和感に慣れる前に。
だからもし、今何かに迷っている人や悩んでいる人がいるとしたら、「違和感」みたいなものがあるのかないのか、考えてみるといいのかなって。
今の生活や仕事、人間関係など。
もやもやっとするものがあるとしたら、それはなんなんだろう、と。
そのもやもやはそのままでいいのか。
やっぱり解消したいと思うのか。
置かれている状況的に、解消したくてもできない人もいると思う。
だから押しつけがましく言うつもりは本当にないのだけど、もし行動できる状況や環境なんだったら、その違和感をそのままにせず、慣れてしまう前に行動してみることは結構おすすめだよ、ということが伝えたかった。
違和感があるんだったら、それはいつからでも遅くない。
なんか違うなと思う気持ちがなくなってしまうのは、本当にもったいない。行動して、違ったらまた行動すればいいし。
そのくりかえしなのかなって。
就職したのにすぐ転職してしまう人を揶揄することがあるけど、それはその人の人生だから、その人が何かを感じ考えながらそうしているなら、別にいいと思う。それはまわりがとやかく言うことじゃない。
ただ、「何か違う」という違和感の中身はちゃんと分解して考えた方がいいとも思う。違う、ということだけであてもなく行動するのは、それこそ路頭に迷ってしまう。
何がどう違うのか。
譲れること、譲れないことは何なのか。
一つひとつ分解して考えながら違和感に向き合い続ける。そうすることで自分が納得のいく人生につながっていくような気がします。
***
これから先もまだまだ「違和感」に出会うことがあるかもしれない。
年齢を重ねると、その感覚に対して少し鈍くなってくるような感じはする。
だから、日々の自分の感覚をキャッチして無視しないようにいられたらなと思う、今日この頃です。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。
そんなわけで、今日はここまで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?