もらったプレゼントは思い出せなくても
クリスマスの近づきを知らせてくれるこの曲。以前に比べ、CMで聞くことは少なくなったように思うが、気づくと頭の中をリピートしているから不思議だ。無条件にわくわくが高まる。
クリスマスが好きだ。
クリスマス前の雰囲気が好きだ。
街には淡いオレンジ色を筆頭にいろいろな色の光が煌めき、どこかのお店に入れば楽しげでムーディーな音楽が流れる。日を追うごとに冷たくなる空気とは反比例し、心の中はポカポカとあたたまる。
ふと、子どものころを思い出す。
小学1年生の私は、そのころ流行っていたアニメの主人公が持っているアイテム「ピュアリーパクト」がどうしてもほしかった。そしてサンタさんへお願いしていた。
24日の夜。そわそわして夜中に何度も目が覚める。うつらうつら枕元を見ると、四角いものが見えた。その場で確認することもできたが、まだ子どもだった私はそれをしなかった。消えてしまうと思ったのだろうか。朝を待ち、包み紙をそっと開けた。
…サンタさんへの信仰度が高まった瞬間だった。
翌年のこと。昨年ほしかったものをもらえたからか、私の期待値はさらに高まっていた。今年はサンタさんに手紙を書くことにした。
1枚目にはほしいものを、そして2枚目には「サンタさん、ありがとう」と感謝の言葉を。折った便箋の外側に、「①」「②」と読む順番の番号までふった。なんて律儀な、そして絶対にもらえる前提のちょっと図々しい手紙なのだろう。靴下の中に入れ、24日の夜を待った。
25日の朝、靴下を見ると手紙はなくなっていた。そしておそらく、ほしいとお願いしたプレゼントが置かれていた(靴下には入らず)。
なぜ「おそらく」なのか。
それはお願いしたプレゼント、そしてもらったプレゼントの記憶がまったくないからだ。自分でも不思議なくらいに、ぽっかりと。
きっとプレゼントも嬉しかったのだと思う。でもこの記憶の中でそれよりも強く覚えているのは「手紙がなくなって嬉しかった気持ち」だった。
この嬉しさだけは、この嬉しさだけを、なぜか強く覚えている。
もらったプレゼントが何だったのかを忘れてしまうくらい、強烈なできごとだったのだろうか。
今考えてみれば、手紙がなくなった=絶対に読んだ・受け取った、にはならないはずなのに、子どもの私は手紙がなくなったことだけで、サンタさんに受け取ってもらえたと喜んだのだ。
サンタさんに「ありがとう」が届いたかもしれないことが、嬉しかったのだ。
この経験が今の私にどう活きているのかは、はっきりわからない。けれど思い出すと確かに「手紙がなくなって嬉しかった気持ち」が胸の中に広がる。
誰かから何かをもらうことも嬉しいけれど、受け取ってもらえることも嬉しいのだと、思い出させてくれる。
同時に、もらったプレゼントを忘れてしまったことには申し訳ない気持ちが広がる。その嬉しさも確かにあったはずなのだから、刻んで、忘れないようにしたい。
もらうことも、渡すことも、相手があってこそ。相手がいないとできないこと。それができる喜びを、いつも、しっかりと味わう。
過去を振り返って気づいたこと。
時間差のプレゼントなのかもしれないな。
こちらの企画に参加させていただきました。
七海さん、機会をいただきありがとうございます。