思い込みが生まれるのは、考えるのをやめた時かもしれない。
わたしの家の窓には網戸がない。
もともと備えつけられていなくて、自分で買う必要がある。
ここに住み始めて2年以上たつが、ずるずると買わずにきてしまった。
窓をあけると虫が入ってくるので、ほんのちょっとだけ開けるか、冷房を弱くつけるかで、これまでしのいできた。
が、家にいることが増えたため、窓をちゃんとあけられないのはやっぱりしんどい。風を感じたい。
しいたけさん占いでも蟹座は「風を吸い込もう」と書いてあった。わたしには風が必要だ。
発想の転換。
そんなことをこないだオンラインで友達に話したら、「虫よけるやつをぶらさげればいいんじゃない?」というアドバイスをもらった。
おおー…たしかに…!
最近CMでもよくやってる。
一年たって交換していない虫よけは、おでこにパスワード書いて歩いているくらい無防備なんだと。
というわけで虫よけを買いに行き、窓にぶらさげてみた。
うん、ただ窓をあけていたときよりも、なんとなく虫が入ってこない気がする。
そしてさらに思いついたのは、薄い方のカーテンをクリップで止めてしまう技。こうすればさらに虫が入ってきにくい。
なんだ、網戸を買わなくても虫が入ってこないようにする方法っていろいろあるんだ。(いや網戸を買えよという感じもしますが)
そんな網戸の話はどうでもいいのですが、ここから考えたのは「思い込み」について。
網戸がないと虫がよけられないという思いこみ。
だから今は窓をあけられないんだという思い込み。
でも視点を変えたら、「なんだ、そっか」という感じで、「できない」と思っていたことがいとも簡単に「できる」ことになった。
今回は友達のアドバイスにより思い込みに気づくことができたけど、自分で気がつくのはなかなか難しい。
思い込みとは。
そもそもどうして思い込んでしまうのか?と考えたときに。
思い込みとは、考えることをやめた結果できた”しこり”のようなものじゃないかと思った。
たとえばさっきの話で、「窓をあけたい」「でも虫は入らないようにしたい」と本気で考えていたら、「虫が入らないで窓をあける方法」に気づけたかもしれない。
が、「あけたいんだけど、虫入ってきちゃうんだよね~」「でも網戸をわざわざ買うのもめんどうだしな~」で思考はストップ。むしろそれを話のネタにしているくらいだった。
結局考えれば解消できていたはずのことが、考えずにそのまま残り、時間が経過するごとに大きく?かたく?しこりのようになっていった感じがする。
思い込みはたぶん誰にでもある。
「思い込み」だと思っていないから「思い込み」であって、だからやっかいなんだけど。
ほんとうに自由がない?
今、外出が制限されている状況に対してもそう。
できないことはたしかに増えてはいて、刺激がないよね、新しいことが起きないよね、なんて話を友達としたりもするけれど、それは思い込みなのかもしれないな、と。
オンラインのコンテンツはあふれているし、参加したいイベントもオンラインで参加できる。読みたい本もネットで注文したらありがたいことに届けてくれる。食べたいものも、飲みたいものも、選べる。刺激はいくらでも作れる。
そういえば昨日音楽を聴いている時に、いつも聞いているプレイリストじゃなくて全曲をランダム再生してみた。
最近聴いていない曲が流れてきて「あ、これいい曲だな」という発見があって新鮮だった。聴く音楽もいくらでも選べる。
「わたしたちの行動は制限されている」「だから窮屈だ」という思い込みがあるのはすごくもったいない。
そこからもう一歩考えを進めて、「でも、できることもたくさんあるよね」と過ごしていきたいし、なんだろな、できることがたくさんある状況に感謝したい。
きっともっと自由がなくなってしまっている人はいる。比べてどうこうではないけれど、明らかに自分は不自由ではない。それは決して自分のおかげじゃなくて、ただ運がよかっただけ。
だからその境遇にただただ感謝をして、「できないよね」という嘆きじゃなく「これもあれもできるね」という希望や楽しみをもって日々を過ごしたい。
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「思い込み」からまた話が広がってしまったような。最近よく広がってしまう。それだけ「書く」ということを通じて自分の考えや想いが次々に出てくるということなんだけれど、もう少しまとめたいな。でもこれはこれでいいのかな。
何かができないと感じたときは。
「できない状況にいたいのか」「できる状況にしたいのか」もう一歩進んで考えてみることを意識しようかな、と思います。
そんなわけで、今日はおしまい。