思いきり、書き続ける。
発信することに迷いが生じたり、疲れてしまった時、立ち返りたい本がある。
その本、そして著者の方はいつも、言葉を扱うすべての人に勇気をくれる。
*
昨日、Schooのある講座に参加した。
Schooは「大人たちがずっと学び続けるコミュニティ」というコンセプトで、毎日様々なジャンルの生放送を配信している。生放送の視聴は無料だ。
有料会員になればアーカイブも見ることができる。費用もそれほど高額じゃない。この金額でこれだけ多様なジャンルの講座を受けられるのは、とても良心的だ。
昨日参加した講座はこちら。
阿部広太郎さんの「超言葉術」の本をもとにした連続講座で、もう6回目。(来月から月1レギュラーになるらしい。やった…!)
生放送はコメント等ができるので、主体的に参加できる。他の受講生の方と一緒に参加している感じが味わえるのも、またいい。
毎回この講座は楽しみにしているのだけと、昨日は見るのをどうしようかと少し迷った。
というのは、ちょっと疲れていたから。
仕事もあまり余裕がなく、noteも自分的には大作を2つ書き終わったばかりだった。書き終えた達成感はあったけれど、燃え尽き症候群のように少し気持ちがぐったりしていた。
せっかくの阿部さんの講座なのに、いいコンディションで見られないような気がした。だったら後でアーカイブで見ようかな。。
でも、やっぱりリアルタイムで見たい。
見たら、逆に元気が出るかもしれない。
そう思って、生放送で見ることにした。
結果、見て本当によかった。
SNSは自分を増やす手段
この言葉を聞いた時、目の前がパッと開けたような感覚になった。(本にも書いてあるじゃないか…よく読め、自分よ…)
SNSは「友達を増やす手段」だと思っている人が多いと思う。でも阿部さんの定義ではまず「自分を増やす手段」なのだ。私はこの定義が、めちゃくちゃ腹落ちした。
たとえば毎日書いているこのnoteも、投稿してすぐは反応が少なかったとしても、時間が経過してから読んでもらえることがある。けっこう昔に書いたnoteを読んでもらえると、とてもうれしくなる。
つまり文章は一度書くと、自走してくれるんだ。
もう一人の自分として、自分が声をはりあげ続けなくても、どこかで、誰かに向けて、伝え続けてくれている。それってすごいことだ。
フォロー数は、心の中で握手できた人の数
この言葉を聞いた時、泣きそうになった。阿部さんは心の底からあたたかい人だと、改めて実感した。
フォロー数をそんなふうに定義している人、この世の中に他にいるんだろうか。「フォロワー数を増やしたい」と思う人の方が多いんじゃないか。
私もnoteを書き始めた頃、「超言葉術」について書いたnoteを阿部さんに読んでもらえて、見つけてもらえて、書く勇気が湧いて、ここまで進んでこられた。実は、心の中で握手できていたのかな。だとしたらうれしいな。
リアルなコミュニケーションと比べてSNSを悪者のように扱う人もいるけれど、対立構造ではないんだな、きっと。リアルのつながりも、SNSのつながりも、「人とつながる」ということにおいては同じ。手段が違うだけ。
お互いに応援する気持ちで、フォローし合うことができれば、SNSはもっと楽しくなるのかもしれない。
自分に向けて、書く
「第一読者は自分でいい」
この言葉、noteを書き始めた頃はかなり拠り所にしていたのに、「伝えたい」ことが出てきて、「じゃあ誰に?」を考えるようになって、少しずつ忘れ去られてしまっていた。まずターゲットは自分でいいんだ。
誰かに何かが届く時、その広がり方は同心円状だと思うのだ。最初は小さくてもじわじわと円は広がっていく。その中心には間違いなく自分がいることを忘れてはいけない。
(「超言葉術」p215より)
自分が読みたいと思うことを書く。
自分が読んでうれしいことを書く。
それができてはじめて、人に伝わっていくフェーズに移る。自分さえも読みたくないと思うものを、誰かが読みたいと思うはずはない。
それを発信するのは、読んでくれる誰かに対して失礼だと言える。
人に伝えたいことがあるのなら、まず自分が書いてよかったと思えるものを。自分自身が満足している文章は、すぐに反応がなかったとしても、きっとどこかで誰かに届くのだと信じたい。
自分が発する言葉で、希望をもちたい
講座が終わり、気づいたら気持ちが前向きになっていた。
本を見返したら書いてあることばかりだったけれど、阿部さんご本人から直接言葉を聴けて、よりパワーが湧いてきた。
そして改めて、本を見返してみようと思うきっかけになった。
自分が書いた文章を一番読むのは、たぶん自分だ。
だから、ネガティブなことを書けば、それを読む自分もネガティブになるだろうし、逆にポジティブなことを書けば、それを読む自分はポジティブになれる。
私は、noteにはあまりネガティブなことは書かないけれど、自分しか見ない日記には時々書いたりする。ぐちを書いてすっきりすることもあれば、ネガティブ思考を目の当たりにして、逆にうんざりしてしまうこともある。自分の言葉で、自分が毒される、という感じだ。
扱う言葉を選べるならば、私はできる限り、自分自身が希望を感じられるような文章を書きたいと思う。
「ネガティブなことを書いてはいけない」と言っているわけではもちろんない。あくまで選べるならば、という話だ。
第一読者である自分が、読み返した時に「よし、がんばろう」と思うような、背中を後押しするような文章を書いていきたい。
*
最後に本から引用を。
どうせ誰も見てないと思って
思い切り書きましょう。
きっと誰かが見てくれていると信じて
書き続けましょう。
(「超言葉術」p212より)
阿部さん、ありがとうございました。
この本にはこれからも、きっと助けられます。
そんなわけで、今日はここまで。
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