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世界の見え方は、自分で決められる。
対話の日。第一回目は、凪由ハイルさんのこちらのnoteです。
生きていることが嬉しい
生きていることが楽しい
生きていることが幸せで仕方がない
私は自分がどれだけ恵まれているかを、簡単に見失ってしまうろくでなしだった。
日が、常で、日常。
でも「常にある」という保障はどこにもない。明日が来る確率は、100%じゃない。頭ではわかっていても、つい今を見失い、今にないものを求めてしまう。それはとても、無意識的に。
でもハイルさんは、日常にある何気ない幸せに気づいた。愛犬のレオくんのこと、おじいさまのこと。文章から、あたたかな情景が浮かびました。ああ、確かに日常の中には幸せがあるんだなと。「気づく」ということは、とても尊いことなんだと思います。
どうしてそうなってしまうのだろう。
どうして、周りと比べて恥じてしまうのだろう。
生きるのに必要な全てを持っているのに。
本当に、そう。
どうして忘れてしまうんでしょう。
私も「忘れる」ことに抗いたいと思いつつ、気づくと忘れてしまっている、という経験がたくさんあります。「忘れないぞ」という意志の強さだけでは、人間の脳の仕組み的にきっと抗えないんですよね。
私は今日、そのヒントのようなものが光って見えたから、そのきらきらがなくならないうちにこのノートに書き綴っている。
意志だけでは抗えないからこそ、「書く」という行為ですよね。いつでも見返せて、思い出せる。
何もしなければ、キラキラした感情はいつか消えてしまうかもしれない。でもこうして鮮度が高いうちに書いておけば、感情の鮮度はずっと保たれる。読んだときに、書いたときの感情がありありと甦るのだと思います。
そしてハイルさんが書き残していたからこそ、私はこうして読むことができている。そのことに対しても、感謝したいです。
今が全てとはいっても、
未来をよりよくする行動をとらなければ衰退する。
幸せをちゃんと感じながら、
それにしがみつこうとはせず、
ありがたさをちゃんと知りながら、
それを手放せる強さを磨いていく、
生きていることがすべてだと喜びながら、
今より素敵な人になる方法をワクワク探し続ける。
ここ、すごく好きです。日常の中にある幸せに気づき、感謝しつつ、向上する気持ちも忘れない。
満足と向上。
バランスよく持ち合わせることは、案外難しいように思います。
満足にとどまると成長がなく、向上ばかりに気持ちが向くと、先にあったように目の前の幸せに気づけなくなる。
バランスよく持ち合わせるには、ハイルさんが書いているようにまず「今」の幸せをちゃんと感じることが大切なんだと思いました。
今の幸せに気づいて感じる、噛みしめるからこそ、心が満たされ、それが自分の原動力になる。そうすると自然に、向上心が芽生える。
幸せに「しがみつく」のではなく「感謝して、手放す」。向上を求めるには、手放す強さも必要なんだと気づかされました。
ただ手放す過程には、きっとつらくなったり、苦しくなったりすることもあるのだと思います。そんなときは、これを思い出したい。
自分には、どんなときもちゃんと喜びがそばにあること。
遠くに探しにいかずとも、近く喜びはある。息苦しくなったときこそ、身近な喜びに立ち返りたいなと思いました。
ハイルさんの文章を読んで、最近よく聞いているSUPER BEAVERの「美しい日」という曲が浮かんできました。もしよければ、聴いてみてください。
もしかして幸せは唯一つ
掴み取るようなものじゃなくて
幾つでも 何度でも
気がつくものなんじゃないかな
誰かにとって「たかがそれくらい」の
ありふれた歓びでも
愛しいと思えたら
大切にすればいいんだよなあ
世界の見え方は、自分で決められる。
今への満足と感謝を忘れずに、未来をよりよくする行動をとる。そんな人でありたいと、私も思いました。
ハイルさん、対話させていただきありがとうございました。私にとって、とても充実した時間になりました。つたない文章で、的外れな点もあるかもしれません。でも、読んでいただけたらうれしいです。
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