見出し画像

平和のためわたしにできること

看護師を目指したきっかけは、小学校の社会の資料集にあった青年海外協力隊の記事と、同時期に見たエチオピア大飢饉のニュースだった。

たまたま私は生まれた国が日本だったから、清潔な服を着て、安全な食事ができ、安心して眠れる家があり、勉強もできる。
でも、たまたまエチオピアに生まれた子どもたちは、カエルのように膨れた腹と小枝のように細い手足で、顔にたかるハエを追い払う力もなく、地面に横たわっている。
この、私とエチオピアの子どもたちの天と地ほどの差が生まれた唯一の理由は、『たまたま』。そう気づいた時、頭の後ろが冷たくなるような衝撃と共に、たまたま安全な暮らしができない人のために何かできることをするのが日本に生まれた私の役割なのだと感じた。

結局、看護師にはなれたものの青年海外協力隊に参加することは叶わないまま月日が経ち、子育て中の2011年、またもや衝撃的なニュースを目にした。シリア内戦だ。
当時、我が子は2歳。
歩くのが楽しくて、良く笑い、舌足らずに話し、イヤイヤ期に入りかけた愛しい我が子。その我が子と同じくらいの小さな子どもが、線路を歩いて、あるいはぎゅう詰めの船に乗って、隣国へ逃れている。
その違いも『たまたま』そういう国に生まれたから。命に違いはないのに、この理不尽な差は、何ということだろう。

そして今、ロシアとウクライナの間で戦争が勃発し、またしても激しい憤りと強い悲しみを感じるニュースが飛び交っている。
我が子は今中学生。もしあと数年後だったなら国のため戦わなくてはならない年齢だ。
背を越され、声変わりしても、愛しいことに変わりない我が子。その我が子を戦地に送り出さなくてはならない母親の苦しさはいかばかりか。夫と別れ、小さな子を抱えて逃げる母がどれほど心細いか。おそらく想像をはるかに超えるものだろうが、ほんの少し想うだけでも涙が出てくる。

マクラメの教室を始めたのは、私自身がマクラメに没頭する体験を通して、幸福感や自己肯定感が高まる経験をし、それを他の人にも感じてもらえたらと考えたからだ。
そういうわけでマクラメは私のライフワークなのだが、小学生の時から胸の奥深くにあってずっと消えることのない私の役割、それをどうすれば私らしく実現できるか、マクラメ教室を始めてからも大なり小なり考え続けてきた。

とは言っても今の私が直接できることはほとんどなく、寄付をしたり反戦の意思表示をするくらいが関の山だ。
そこで、自分のマクラメの作品を販売して売上を寄付することを思いついた。それなら私の手仕事という付加価値にお金を出してくれる人がいれば、私ひとりで出すより多く寄付ができる。

けれど、新しく何かを始めようとすると、いつも何度も自分の内なる声がそれを躊躇わせる。

この戦争を口実に自分を売りたいだけじゃないの?
遡れば、ウクライナで戦争が起きる前にも紛争は世界のどこかで起こっていたのに、なぜ今更?
今までほとんど関心を向けたことのないロシアやウクライナより、日本人として国内にもっと目を向けるべきなんじゃない?
作品の販売なんかやったことないのに、売れなかったら損するだけじゃない?

そんな否定的な自分の声に逆らうように、飢えた子どもの写真を見た小学生の私を思い出し、奮い立たせる。

そうしてようやくショップに作品を登録するところまで漕ぎつけた。

正直なところ、毎日制作しながらも「せっかく作ったのに戦争が終わっちゃったなあ」となることを期待していた。
あるいは、日々報道される悲惨な現状に涙がこみ上げる自分に対し、作品を制作することで「自分にできる支援がある」と思いこませ、安心させようとしていただけなのかもしれない。
けれど、残念なことに、ウクライナ侵攻から1か月経ったが戦争は終わっていない。

それにしても、人々が手を取り合い、互いを尊重し、世界中が平和に暮らすことはできないのだろうか。
難しいことは私にはできないし、分からないが、いつかそんな平和な世界になって欲しい。
そんなシンプルな願いを、ただひたすらに願いながら、自分にできることを行動に移していきたいと思う。

サポートありがとうございます。貴方がいい時間を過ごすためのお役に立てたなら見に余る光栄です!