「パンダ」の「なんで」は怖くない
富山県で生まれ育った超富山県民の私ですが、横浜にお嫁に来て1か月以上が経ちました。
なんだったらもう月が変わり、私は横浜での初めての夏を迎えようとしています。
横浜の生活も少しずつ慣れてきました。
立山連峰がいない空も見慣れてきたし、「なに線のなに駅のなんとかかんとかという電車に乗れば、大体この辺りに出る」というのも少しずつ把握してきた気がします。かまぼこ板に乗ったかまぼこにもいちいち驚かなくなったし(富山のかまぼこはかまぼこ板に乗っていない)、迫りくる自転車の数々にも怯えなくなってきました。
ですが、そこはまだ横浜生活1か月ちょい。私はまだ慣れないものもあるし、中でも決定的に慣れていない否不得意とする横浜の文化があります。
それは「言葉」。
富山県というのは関東関西に二分するなら、どちらかと言えば関西訛りの雰囲気にあるのですが、横浜はド関東。私はその、いわゆる標準語という言葉のアクセントに慣れないのです。
私自身はまだ、横浜の言葉というか標準語を喋るには至っていません。今のところ、標準語を聞くということに慣れていないのです。
その、標準語のアクセントに決定的に慣れていないわけですが、前述の通り不得意とする標準語があります。
不得意と言い切るまでの標準語。なにかと言えば「なんで」という言葉です。
富山にいたときは、「なんで」「なんで?」なんていう言葉なんて特になにかを感じることなく耳に入れていたのに、標準語の「なんで」「なんで?」はとてもとても冷たく聞こえてしまうのです。
特に、一番身近で標準語を喋る夫の「なんで」は怖いレベルで冷たく感じ、夫は全く悪気なく発してしまうのに「責められているように聞こえる」とその都度びーびー泣いてしまう始末です。
文字にしてしまえばただの「なんで」ですが、夫(標準語民)の言う「なんで」は、大体「パンダ」のアクセントだと思います。
対する富山弁をまだ使う私の「なんで」は「軍手」のアクセントのように思います。
この、「軍手」のアクセントで「なんで」を聞き慣れていた私にとっては「パンダ」の「なんで」は怖いのです。責められているようで、怒られているようで、冷たく感じてしまい怖いのです。
元々、私は歴代の彼氏から怒られたりイライラされたり否定されたりするということが多い方だった(と認識している)のですが、なぜか彼らはこの、標準語で「なんで」と私を責めることが多かったように記憶しています。
だから、夫が何気なく「なんで」と言ってしまうとビクっと怯えに怯え、「ごめんなさいいい子にしてるから怒らないで」と泣いてしまうんだろうなぁと。そんな分析もしています。
夫もそんな私を見ると「わああごめんね、悪気はないからね」と謝ってくれるのですが、謝られるもなにもこれは育ってきた文化の違いなので、私が「「パンダ」のアクセントの「なんで」は、別に怒っているわけでも責めているわけでもない」と認識すればいいのです。
多分それを認識し、理解し、怯えたり泣かなくなるまでには時間はかかると思いますが、少しずつ慣れていけばいいんだと思います。
夫はひとつも悪いことをしていないのですから。
私はまだ、横浜にいても富山弁で喋ります。喋ってしまいます。
今のところ富山弁を直そうとも標準語を喋りたいとも思っていなく、ただ時間の経過によってなんとなーく私の喋る言葉も横浜チックになっていくんだろうなぁとぼんやり考えています。
電車の中や人がたくさんいる中でも富山弁で喋ってしまうのですが、「嫌じゃない?恥ずかしくない?」と夫に聞くと、「全然?そんなことないよ」と言ってくれたので安心しました。
富山にいたとき、当時の彼氏と東京に遊びに来たら「恥ずかしいから富山弁で喋らないで」とその都度怒られ、離れて歩かれたことを思い出し、悲しくてトイレで泣いたことを思い出しました。
今はいちいち泣いてしまう私も、富山弁で喋ってしまう私も、「いいんだよ」と言ってくれる夫がいるのでよかったです。
しばらくは怯えて泣くとは思いますが、「パンダ」の「なんで」も怖くないよ、と少しずつ慣れていきたいです。
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