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高齢者の運転を止めよう

裁判が終わった。飯塚幸三被告に禁錮五年の実刑がついた。

高齢者の自動車運転の危うさについては、この事件の前からもずっと叫ばれてきた。それに対し「いや若者のほうが危ない」だとか「統計では」とかいう意見も聞こえてくるけれど。問題はそこじゃない。事件の数とかじゃない。

問題は、高齢者が危険に気がついていないことだ。運転をやめない高齢者の多くは
「運転には自信がある」
「私は一度も事故を起こしたことがない」
「ゆっくり走ってるし、すぐそこだから大丈夫」
などと思っている。

若者は運転を重ねるうちにだんだん上手になるが、高齢者は逆をゆく。だんだん下手くそになり、同時にだんだん頑固になっていく。とくに男性は、体が動きにくくなってきたことや反射速度が落ちてきたことを頭ではわかっていても認めることができない人が多い。

この認めることができない頑固さこそ「年のせい」だと私は思う。高齢になって周囲に
「免許返納をしたほうがいい」
と止められているにもかかわらず、
「まだ大丈夫!」
と自信満々に運転し続けるなら、それこそが「判断力が鈍っている証拠」。客観的な意見、第三者の意見(ドクターストップなど)を聞き入れるという正常な判断力が失われているのだ。もっと言うならば、認知症の方は自分が認知症であることに気づけない。

飯塚幸三被告も家族から運転はやめるように言われていたという。だが頑迷にも聞き入れなかった。たしかに高齢者から車をとりあげれば不便になることは決まっている。そこは周りがカバーしなくてはならない。全力でカバーすることを約束した上で車を取り上げなければいけない。もう一度いう。本当に危ない人からは力づくでも車を取り上げなければいけない。

男のプライドがどうした?
生き甲斐がどうした?
親子関係が悪くなる?
運転をやめたら認知症になるかもしれない?
人を殺すかもしれないんだぞ?
子供を殺してしまうのと、どっちがマシだ?

あと、はっきりいって免許返納はあんまり意味がないです。
免許なんかなくても車は運転できます。
キーだけ取り上げても、探したりスペアを作ったりします。
うちの叔父は車をとりあげたら翌月バイクを買ってきました。

私は2年前、父から車をとりあげました。かなり運転のうまい人でしたが、ラクナ梗塞のせいか身体能力も判断力も急激に衰えてしまったのです。でももちろん免許返納なんかするわけがありません。
「俺はまだまだ大丈夫や!」
の一点張り。親戚に諭されようが医者に止められようが屁のかっぱ!

「なんとかしなければ」
と思っていたとき、父は一時停止違反で罰金をくらいました。私に隠していましたが、たまたまご近所さんが見ていて、教えてくれたんです。

そこで私は
「一時停止で捕まったんだって?警察から電話があったよ」
とウソを言いました。
「『かなり危ない運転をしていたから、やめさせるように』って言われた」
父はご近所さんに見られてたなんて知りませんから、本当に警察から連絡がきたのだと信じました。『警察』という権力はわりと効き目があるようです。父はしょんぼりして
「もう運転はやめたほうがいいのかな」
とつぶやきました。

それから数日後、私は
「来月、車検だけど、どうする?」
と振ってみました。父はそのとき所持金をぜんぶ競輪につぎこんでいたので
「車検に出すお金がない。車はあきらめる」
と答えました。私はその日のうちに車を売り払う手続きをしました。明日になればすべて忘れているかもしれないからです。

そのとき父はまだ70才でしたが、能力的には90才近かったです。移動手段を失った父は予想通りどんどん衰えていきました。今では要介護です。さすがに気の毒だし、ウソついたのは申し訳ないと思うし、私のせいだとも思うけど、あの状態で運転を続けるのは絶対に危険でした。

年とった親から車をとりあげるのは、家族としてはつらいことです。送迎したり、認知症が進んだり、かなり手間もかかります。それでも最悪の事態を避けるためには、ためらわず、すべての手を打つべきではないでしょうか。

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