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柴山ゆきこは何故SNS集客コンサルタントになった?そこに至るまでの”山あり谷あり”の過去。
こんにちは、柴山ゆきこです。今ではインスタでも「ゆき姐(ゆきねぇ)」という愛称で呼んでいただいています! この人生の中で昔から何度もこの愛称で呼んでいただける機会があり、ついにインスタでもゆき姐デビューとなりました笑
そんな姉御肌?だったり、頼りがい?があるように見えて、明るい私でも、実はうつを15年以上(寛解期間も含めて)患っていたりするんですよね。
ついでに強度のHSP気質で、普通の人ができることができない。昔はよく「私は社会不適合者なんじゃないか」と悲しんだり悔しんだりしたものです。
しかし今そんな思いはありません。
とはいえ、そこに至るには、長い年月が必要でした。
病気と闘った大学時代
私はもともと医学生物学系の研究所で働く人間でした。
3歳頃にNHKスペシャル「驚異の小宇宙人体」を見て感動し、ずっと生物学をやりたいと思い続けていました。
そして大学は海外、アメリカの田舎にある大きな大学に入学しました。
その頃はまだ山中先生のiPS細胞も発表されておらず、私はES細胞を使った再生医療の研究に興味がありました。
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右手右足が一緒に出ているのはご愛嬌。
私が入ったアメリカの大学はとにかく大きくて、まるで一つの町のようでした。大学内の保健機関である病院に行くまで徒歩40分。そんな大きな大学だから、私が入学して2年目には、大学内に小型バスが走るようになりました。
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芝生が広がる緑豊かな大学。ところどころにリスが走り、ハチドリもいるような大自然。その中の寮に住み、英語は苦手ながら、必死に食らいついて勉強をしていました。
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そんな時、人間関係がきっかけでうつ病とパニック障害を発症してしまいます。
治療のために帰国。症状は酷く、もう大学には戻れませんでした。
療養には丸2年はかかり、10キロ痩せて食べ物も食べられず入院もしました。前半1年はほぼ寝たきりの生活となりました。
やっと元気が出てきてまともにアルバイトができるようになった頃、私の心に「やっぱり生物学を諦めたくないな」という気持ちがよみがえってきました。
そんなわけで、近場の大学の社会人枠で受験することを10月に決め、2月に受験し、なんと特待生入学を果たすことができたのです!
2度目の大学なので、奨学金を借りて入りました。
特待生入学のおかげで、2年間の授業料は半額。さらに入学後も必死に勉強し、学科内3位に入って返還不要の奨学金もゲット!
それを交通費に充てなければならなかったので、私は必死に勉強しました。
しかし実は、この大学生活こそが私の体を脅かすものだったのです。
パニック障害には「広場恐怖」というものがあり、特定の場所でパニック発作が出る症状があります。普通は電車などの「一度入ったら自分の好きなタイミングで外に出られない閉塞感のある場所」が一般的なのですが、私の場合は「講義中の大学の講義室」がそれに該当しました。
大好きな勉強。でも欠席したら成績が下がる。成績が下がったら奨学金がもらえなくなってしまう。バイトをする精神的体力的な余裕がない。どうしよう……。
この思いが「講義が始まったら外には出られない」と私に変な暗示をかけ、私は授業が始まるたびに胸の痛みやめまい、呼吸の乱れや手足の震えと闘っていました。
しかし残念ながらそれも限界がやってきて、私は2つ目のこの大学も中退せざるを得なくなってしまいました。
どれだけ悔しかったことか。たくさん泣きました。私の夢は「生物学を勉強すること」であり、その先の何者かになりたいわけではありませんでした。
だから勉強する環境に身を置けなくなったことが悔しくて悲しくてたまらなかったのです。
家族と仕事とお金
それでも、数か月後には立ち上がって、今まで学んだことを活かしながら研究室で働けるよう、理系専門職向けの派遣会社に電話をしまくりました。何度応募しても不採用。それでも電話。
その状況を聞いた私の恩師である、とある総合病院の研究所の先生が、自分の研究室でアルバイトをしてみないかと声をかけてくれたのです。すぐにこちらからもお願いし、週1のアルバイトが始まりました。
週1でも「実務経験」にはなるので、履歴書に書けます。一生懸命、苦手なマウスの解剖も頑張りました。
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すると、派遣会社の方から電話がかかってきました。まだ発表前の求人情報を教えてくれたのです。通える距離で、私の顕微鏡技術が活かせる職場。大学病院の大学院の研究室です。
幸いすぐに採用していただくことができ、恩師の研究室の仕事も掛け持ちで、週4日で働くことになりました。
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非正規なので、両方のお給料を合わせても月20万円は超えませんでした。それでもものすごく楽しかったのを覚えています。
そんな私にも、結婚や妊娠出産という転機が訪れ、これらの仕事を退職することになりました。丁度うつも寛解していたので何の薬も飲んでいない時期に妊娠し、かわいい娘が生まれました。
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当日朝、亡き祖父が植えた芍薬が花開き、髪飾りに。
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そのタイミングで、主人は本社で仕事をすることが決まり、関東に引っ越すことが決まったのです。
しかしこれが災難の始まりでした。
転勤1カ月目で、主人がうつ病になってしまったのです。
原因は、職場のパワハラ。主人から被害の内容を聞くだけで、ものすごく腹が立ちました。
うつ病の辛さを知っている私は、主人にすぐに休職するよう手配してもらいましたが、残念ながら休職期間満了しても主人の心身は良くなりませんでした。
仕事のことは私に任せて!
主人のためにもう一度働き始めました。
在宅ワークをしたり、ライティングの会社で短期で働いたり。
そんなこんなを経て、有名大学の医学部の研究室で働くチャンスを得ました。このころにはすでにiPS細胞が普及しており、私はiPS細胞で移植用の臓器の開発に携わることになりました。主な仕事は、iPS細胞を目的の臓器に変えること。
すごく最先端の専門的な仕事ですよね。でもこれでも手取り20万円ないんですよ。それが日本の研究業界の実態です。
こんなに専門的なことしてるのに、お給料おかしくない?
こんなんじゃ生活できないよ!
主たる生計維持者となった私は、やっとここで”生きるためのお金”について考えることになります。
主人の病状は良くならず、主人の希望で地元の滋賀に帰ることになりました。家事育児は主人に任せ、私は薄給の研究技術職から脱するため、色々な仕事に挑戦しました。
PV(ファーマコヴィジランス)という薬の副作用の情報を集める仕事をしたり、企業研究員になって難病の細胞治療薬の研究開発をしたり、医療機器の営業をしたり、もうなんでもいいから仕事をと不動産関連の営業をしたり。
しかし、強度のHSP気質の私は、どの仕事も長く続けることができず、まともに稼げないまま、次第に心身を病んでいきました。
また薬を飲むことになり、副作用で体重が3カ月で20キロも増え、ジムに通ったり自宅で筋トレをしても1キロも減らず、自己肯定感はどんどん下がっていきました。
そしてついに、主人がようやく回復してきた頃に「もう無理!」と叫んだのです。
主人はすぐに仕事を探してくれました。
その代わり、私は娘を幼稚園に連れて行ったり家事をしなければいけなくなりました。
しかしうつが再発しており、どうしてもどうしても娘を幼稚園に連れていくことができず、ついには数か月もの間、娘に幼稚園を休ませることになったり。
結局私は何もできない。
家族のために何かしたくても、何一つ実現できない……。
悲しくはなりましたが、この身体だから仕方ない。そう思わないと生きていられませんでした。
Instagramとの出会い
実は、私は保険として、外で働いている間に副業を始めていました。それはBASEのネットショップ。Twitterのみで集客をし、予想以上の人気店になりました。月35万円以上も売り上げる月があったり、経営は上々でした。
しかしここでコロナと円安が立て続けにやってきます。
私は主に海外各地の卸と英語で商談し(時差もあるのでチャットですが)、商品を仕入れていました。イベント出展で大きな収入を見込んでいたのですがそれもできなくなり経営不振となり、さらに円安で仕入れも難しくなりました。
そんな時、ふと「Instagramを勉強しよう!」と思い立ったのです。
最初はネットショップを立て直すために勉強しようとしたのですが、無形商材を売るアカウントが多いことに気づきました。しかも人気のアカウントでは、月7桁や8桁を売り上げているではありませんか!
なるほど!無形商材なら仕入れをしなくても高額商品が売れる!
そこに目を付けた私は、がむしゃらにInstagramを勉強し始めました。これが2022年7月時点。
そして素晴らしいメンターと出会い、2022年8月下旬に現在のアカウントを稼働させます。
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一方で、家計はもうズタボロ。主人と私の二人分の奨学金に加え、生活費の借金までありました。
そんな中でも、主人は私を応援してくれました。
もう借金なんていくらしても同じだよ。
ゆきこがそれを仕事にしたいなら、自己投資しちゃいなよ!
なんて大らかな主人でしょう。頭が上がりませんでした。
そして思い切って、前述のメンターさんの講座に入ることにしたのです。
それは何をおいても、最短で最高の収入を得るために。
ありがとう! 私に3カ月ちょうだい! 3カ月で絶対収入に繋げてみせる!
この覚悟で、夜遅くまでスマホやPCに向かう生活が始まりました。
それでもとても楽しかったんです。
もともと「表現」することが大好きな私。Instagramは私の創作意欲を掻き立てました。
人に理解してもらってこその創作物は、自分本位ではなく、見る側の気持ちを考えなければならない。それを心得ていた私は、メンターの言葉を信じて素直に実行しながら、アカウントをどう見せていくべきか考えながら日々試行錯誤をしました。
気づけば、1ヵ月でフォロワーは500人を越えました。
2カ月目にはLINE登録も毎日2~3件ずつ増えるようになり、無料相談は殺到!
嬉しい悲鳴をあげるまでになりました。
そうして3カ月目の今。2か月前に宣言した通り、ようやく自分の商品を売り出すタイミングが来たのです。
皆さんにお伝えしたいこと
それは「インスタで無形商材を高額で売ることができるビジネスを知っている時点で、すでにチャンスを手にしている」ということです。
私はこのビジネスにたどり着くまでに長い時間を要しました。その間に色々な仕事をし、心身を削り、外で働けない体になってしまいました。
しかしインスタでのビジネスに出会ったことで、今までの常識が覆ったのです。どんなに専門的な仕事でも20万円前後から脱出できなかったのに、月7桁の収入が現実的な数字なのです。
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これを読んでくれているあなたも、それを知っているから、SNS集客を勉強しようとしているのでしょう。だったらもう、実現するしかないですよ!
このビジネスを知らない人が多い中で、あなたは知ることができた。もうそれが最初の奇跡。その奇跡を起こしたあなたは、あとはもう実現するだけなのです。
私は主婦で、一児の母であり、うつを患った強度のHSP気質。もう外では働けない状態です。今でも午前中は起き上がれない日がほとんど。ちょっと外出しただけで、疲れて寝込んでしまう。
そんな私でも、本気で向き合ったら、たった2ヶ月で実現できました!
2ヶ月半で収益化も達成し、3ヶ月目には135万円を売り上げました。
だからあなたにも諦めてほしくないんです!
決まった拘束時間もなく、通勤もない。出勤日も休日も決まっていないから、自分の体調に合わせたスケジュールを組むことができる。
そんな「自由」な働き方をあなたも実現してみませんか?
そして、心身に対しても家計に対しても「豊かで余裕のある人生に」してみませんか?
あなたはすでにチャンスを手にしている。
それを実現させるのは、あなた次第なのです!
https://www.instagram.com/shiba_yuki_sns/