アウトプットの習慣化を考える
つい目の前の家事や仕事に気を取られて、先延ばしにしてしまうアウトプット。
やりたいという気持ちはあるのに、なかなか続かない。まさにアウトプットするする詐欺状態になっている。
正直、アウトプットしなくても、仕事にも生活にも支障はない。けど、
やりたいのにできていない
という状態が続くのは、自己効力感をさげるので、こういう状況が続くことは望ましくない。
あるいは、「言葉より行動が全て」だとしたら、アウトプットが(自分の想定しているレベルで)できていないということは、アウトプットしないほうが都合がよいというか、本当はやりたくない・やる必要もない、っていう可能性もあるかもしれない。
それはさておき。
わたしの場合、「時間がない」が理由ではないということは確認済。配分の問題については、引き続き、検証予定。
昨日は、とある方に壁打ち的にお話を聞いていただきつつ、現状と課題を整理。
そこでの新しい発見が、
晩ごはんのおかずとアウトプット
一見、何の関係もなさそうなこの2つ。
わたしは家事嫌いを公言してますが、家事といっても幅広く奥深いので、「家事嫌い」という表現はかなり大雑把なのだけど、料理についていえば、料理をつくること自体はそこまで嫌いではなく、「メニューを考える」のがとんでもなく苦痛!です。
とはいえ、食べないわけにもいかないので、毎日夕飯だけはつくっているのですが、何をつくるか決まってないと料理できない。
そこで、
1.土曜の夜は外食(今はできないのでデリバリー)
2.週末に主菜系(肉と魚介類)の食材をまとめ買い、月~金の5日分の下準備をしておき、平日はそこからチョイス
3.翌日のメニューは、毎晩の手帳タイム時に、主菜とのバランス、冷蔵庫の食材をみつつ、レシピ検索しながら決定
4.翌日のスケジュールをみながら、ざっと段取りを考え、手帳に必要なアクションを記入
この業務フロー確立と、ホットクックとヘルシオのウォーターオーブンを駆使することで、着手後、1時間以内でそこそこ美味しい夕飯の準備ができるようになりました。
料理によるストレスはゼロにはならないけど、段取りが上手くハマったときの喜びの方が勝っているので、多少のストレスであれば帳消しになります。←わたしの場合。
そんな晩ごはんの準備、わたしにとって、
晩ごはんの準備=嫌いなこと、でもやらざるを得ないこと
アウトプット=やりたいこと、なのにできていないこと
とこの2つは全く関連性がないものだと思っていたのですが、
「それ、根っこは一緒ですよー」
といわれて、目から鱗、の前に目が点。
でも、そう言われてみると、
晩ごはん=何をつくるか決まってないと料理できない
アウトプット=何を書くか決めていないと書けない
はー、確かにそうやわー。
書きたいことが明確になっているときは、割とサクサク書けるという体感覚は確かにある。
自分のなかに書きたいことがあふれているという感覚はあるんだけど、その「書きたいこと」の輪郭が曖昧で、ぼんやりしているから、いざ書かん!と思ってPCに向かっても、書けなかったり、書き始めてもまとまらなかったり。
時間をかけても書き終わらなかったり、見積もり時間の大幅オーバーでその日の段取りに影響がでたり。(段取りに影響が出るのは、Ms. Routineのわたしにとってはストレスなのです…)
自分が提供できそうな価値を研修モジュールというかシラバス的に整理しようと考えていたところだったので、そこともシンクロ。
アウトプットの習慣化について、もっと考察を深めて、自分なりのフローをつくっていきます!
ところで、
一見、全く関係ないようにみえる事象でも、根っこのところでつながっていることがある
こういうのは、自分ひとりで悶々していても、なかなか気づくことができない視点だと思う。
人と話すことは、まさに思考を言語化することだけど、話すことで、思考が整理されたり洗練されたりすることもあれば、「あれ、何か思ってたの違う」っていうようなこともある。
わたしは、ついつい効率と成果を求め、無駄なものを省きたいと思ってしまうタイプなのだけど、こういう目的とか成果を決めない雑談というか、フリートーク的な機会をあえてつくるということも大切だな。
さ、晩ごはんつくろ!
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