雪割納豆のあれこれ③雪割納豆の誕生秘話
昭和31年(1956年)12月、今から68年前に米沢栄養食品株式会社(まるよね食品工業㈱の前身)から雪割納豆は誕生した。開発者は米沢栄養食品㈱専務の加藤秀一氏。加藤氏の実家は米沢市鍛治町で麹店を営んでおり、雪割納豆の誕生に結びついていく。米沢地域の農家では昔から「ごと納豆」なるものが手造りで造られ、春を迎える4月5月の農繁期に食される大事な栄養源として珍重されてきた。加藤氏の母も、戦前戦後を通して、正月になるとホーロクで豆を煎り、2つに割って皮を飛ばし煮込んだ後ワラットに詰め、コタツの暖で発酵させ引き割納豆を仕上げ、それに糀・塩を適量合わせ瓶に押し、春になると程よく発酵してうまさが増したといっている。加藤氏はこのようなうまい物を米沢地方の家庭食だけに埋もれてしまうのは勿体ないと考えた。量産して東京に売り込めば大きな仕事になると考えたのだ。そして試行錯誤の中、昭和30年春に雪割納豆の試作品が出来上がったのだ。それから米沢栄養食品㈱を設立し、雪割納豆の製造・販売が始まった。昭和30年は終戦から約10年の戦後復興、日本経済白書が「もはや戦後ではない」と明記した戦後復興の終了、そして日本が高度成長期に向かう始まりの時期でもある。私は米沢で魚市場を営んでおり朝早く年配の魚屋さんや寿司屋さんたちとこんな話をした。昭和30年前後で日本は大きく変わった戦後なにもないところから物がどんどん産まれる時代へ変わった。2・3年でかなり変わったと。東京タワーやテレビ・冷蔵庫・洗濯機といった三種の神器といったのも雪割納豆誕生から2年後のことである。本日はここまで。また次回につづく。
ゆきんこHP