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雪割納豆のあれこれ㉔ごと納豆の起源!を探る、大きな謎⁈

本日のお話は、「ごと納豆」の起源について。雪割納豆の歴史・文化を語るうえで、最大の謎になる。これまで「雪割納豆のあれこれ」でお話したとおり、雪割納豆は、ごと納豆を商品化したことは周知のとおりだ。私自身、引き継いで10年、ごと納豆や雪割納豆について様々な資料を収集し、調べてきた。郷土資料や地元の大学資料など、少なからず様々な立場の方が雪割納豆やごと納豆についての記録している。ただ1つ言えることは、歴史的な資料(文献や古文書)にはごと納豆の文字は見当たらない。昭和40年以降の納豆について書かれた著書や郷土料理などの著書に雪割納豆と一緒に記載されたり、ごと納豆として紹介されたりと、明確資料は存在しないのが現状である。参考までに、「ごと納豆」について書かれた主だった資料は下記に紹介する。※細かい資料はまだまだあり、下記の2つは主なもの

①「納豆沿革史」全国納豆協同組合連合会 昭和50年4月発行
②「農村文化6 納豆と米沢」農村文化研究所 昭和52年4月発行

ご興味のある方は、ぜひ上記をお読み頂きたい(小さな文字ですいません)
2つの資料とも、江戸時代からあったと記しているが、正直信憑性にかける💦雪割納豆のあれこれ③で記したように、ごと納豆は米沢を中心とした地域の家庭(農家さんなど)で食されてきた。納豆(通常の糸引き納豆)の食文化や稲作文化・農村文化と密接に関わっていることが、想像できる。これから、農村文化や地域の納豆食文化を1つ1つひも解くことで、ごと納豆の起源にも繋がっていくだろう。なかなか時間のかかる作業になる事はわかっている。歴史学・民俗学の視点から丁寧な読み取りも必要である。時間をかけて行っていきたい。起源を求めることは、なぜ必要なのか。1つの考えは、現在のゆきんこの経営という実践郷土の文化を考える学問的な視点、2つを進めていくことが、過去・現在・未来を繋ぐコミュニケーションであり、地域社会を守り、未来をつくることに繋がると感じるからである。なぜ歴史を学ぶのか、壮大なテーマにも繋がる。話が脱線しそうなので、本日はこのへんで。ごと納豆の起源については、また書き記していきたい。お読みいただきありがとうございます。暑い日が続きます。お体にご自愛ください!
ゆきんこHP


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