風水のはじまり 水星と邇芸速日

風水の起源について諸説あるが、遼河文明の紅山文化に風水の原型と見られるものが出土している。

遼河文明は中国東北部の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。
BC6200年頃から存在したと考えられている。
興隆窪文化の遺跡からは中国最古の龍を刻んだ翡翠などの玉製品が発見されている。

内モンゴル自治区東部の渾善達克砂丘地帯の堆積物の検討によれば、従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したという。

このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性があるらしい。

最終氷期が終わる12000年前頃から定住が始まり、農耕社会へと変化していくわけだが、必然的に農耕に必要な土地や気象への関心は高まっていくだろう。
風水はそんな生活の知恵から発生したと考える。

地形など地理をみるとされるが、水の豊かな場所、植物がよく生育する場所、季節による気温変化など、植物や動物などの自然観察から生み出した理論であったと思う。
徹底した自然観察と観察を可能にした視点ー規範となるものがあった
太陽は重要だが、12000年より前からのデータの蓄積という点で遅れをとっている
人類誕生600万年前の生活から、最も重要視されていたのは何だろう

おそらく「水」
水に強い関心を寄せていたのではなかろうか

その水を司るものは?
山ー森と木である。
川は山の一部として扱われた。
また水を司る天体は、水星。

水星は、太陽に最も近い惑星である。
それ故その観測の難しさから、研究が進んだのは近年のこととされる。

だが、古代より水星は認識されており
水星について記述された最古の観測記録は、
BC14世紀頃のアッシリア人によって作られたと考えられる星図表であり、この表における水星の楔形文字表記は、「跳ぶ星」と訳される。

エジプト神話では時の神トート、
ギリシャ神話では、明けの水星に太陽神アポロン、宵の水星に伝令神ヘルメスを対応させていた。
その後、最内周惑星で運行が速いことから、ヘルメースと同一視されていた俊足の神メルクリウスの名があてられ、これが英語のマーキュリー(Mercury = 水星)の語源となった

古代中国では水星は「辰星」の名で知られ、方角の「北」、五行思想の「水」と対比されている。
水に対比させたのは、流水を水星の公転速度の速さに見立てたためだそうだ。

とにかく動きが速い。見える時間は短い。
また内惑星であるため、出現場所が東と西をとぶ。

さて、何故水星と邇芸速日命が関係するのか。

邇芸速日命(ニギハヤヒ)
神武天皇に降ったとされる。
素直に耳から入る言葉はニギハヤヒ。
逃げ足速い光、つまり水星を指している。
そして、水星が意味する内容を漢字を当てはめて示してくれる

邇はジ、ちかい、ちかづくと読まれる。
形声であり、初文は(木の下に土、右に犬)。
社、土地神の上に木を植え、犬牲を供えて祀る形で
ときに女人が跪いてその神木を拝する形のものがある。
つまり邇という文字は産土神の観念に近い字。

芸はゲイ、植える
旧字は藝、若木を奉ずる形。
若木を植えるのは神事的な、政治的な意味をもつ行為であったようだ。

邇芸という表記には、神聖な場所に木を植えるという意味が強く打ち出されているようだ。

速は、ソク、すみやか、はやい、まねく
古文は言に従い、何らかの祝祷の儀礼に関係のあるものであったことを示すようだ
祭事に参加するよう招く意もある

日は、ニチ、ジツ、ひ、ひかり、ひる、さきに
太陽の象形とされる。
日と実は同音、月と闕と同様、音義説をとる。
だとすれば、日は実りを指す。

総合すると邇芸速日の役割は
神木を植えて実りを招く事

山に周囲より一際大きな木があれば、その下には水脈があるという
木は水場の手がかりとなり、巨木は水神の権化といえるだろう。
つまり巨木信仰には水信仰の意味がある。
巨木だらけの山は、水神の山つまり龍となる。
故に森は神社となる。
水脈に木を植え、豊かな恵みを祈った。

水星の会合周期は116日。
一年は365日だから、水星は一年を3区分する役割を担っていた。
3区分といっても、
日没後西の空に現れる時期が3回約2〜3週間
日の出前東の空に現れる時期が3回約2〜3週間

水星も地球も楕円軌道を描くため、
空に出現する水星の軌道は3種類の形になる
この内、馬蹄形をとるものは、春分に近い。

水星が空に描く軌道、これが龍の原型であると思う。
東の空に馬蹄形の水星が昇るころ、雨季がやってくる
シリウスは何故古代エジプトで崇められた?
シリウスが太陽の昇る前に東の空に見えるころがナイル川の氾濫つまり雨季の到来を知らせたからだ。

度という漢字は、席と又(ゆう)にしたがう。
又は右手の象形。席は蓆(むしろ)。
席は厂(かん)と蓆の形に従う。
厂は崖の形で、その中で蓆を布く。
度は蓆を右手で広げる会意文字で、蓆をもって長短を測る意味。
厂は崫だろう。
薄暗い洞窟のような場所で、右手に蓆、つまり東に計りを広げる。東の空の長短を計る。
これが測量の原点であり、また機の原点となった。

この漢字が、岩屋(洞窟や崖)の暗闇の中から、空を観測していた歴史を物語っていると思うのである。

人類600万年の歴史の中で水星の軌道と雨の関係に気付いた一族がいる。
風水を生み出した一族。
彼らは、夜明け前の観測、測量、編みモノなど様々な技術を持っていた。

漢字は、古代の暮らしをハッキリと教えてくれている。











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