天文学で読む古事記 神々の誕生と冬の到来1

伊邪那岐と伊邪那美が大八島ほか国を生んだ後に生まれる神々。

国は、夜空に作られた星座(主に天がつく名前)と、現実の世界とが対比している。
古代人は、月や太陽、星を生命ある神と見て、神々の名を付けた。
星は季節により移り変わり、自然の暦となった。
海人族らは、星をみて方角を知り、星座を考えだし、天文知識が芽生えていく。

同時に様々な道具が工夫され、技術が進歩していく。

国生み後、更に神を生みましき。
生みませる神の名は
大事忍男神ー季節を告げる神であり、音(リズム)を意味する。音を刻む。
古事記の忍と言う漢字には、心に刻む音(リズム)の意味があるようだ。

次に石土毘古神、石巣比売を生む
石土は、笛の原料になる。石笛、土笛がある。
石巣(いわす)は、笛を吹く行為。音を出す。また、岩屋に住まいしていた女を事を示す。

次に大戸日別神。日は光。大戸は大斗であり、北斗七星の光が分けられる時期ー10月を意味する。
10月は神無し月と言われるのは、北斗七星が水平線ギリギリにまで下がって見えなくなるため。
沖縄では見えなくなる。北海道ではしっかり見える。
本州でその分断点が発生。
その限界の場所を大戸が表す。日本アルプスである。
この一帯が一つの目安になった。
道標の神は10月に日本アルプスで分断される。

次に天之吹男神が生まれる。
冬がやってきた。

次に大屋毘古神が生まれる。
11月になる。
どうやら毘古は、農事暦の月を象徴しているようだ。

次に風木津別之忍男神が生まれる。
日本海に吹く冬の季節風は北西から吹く。
この風の影響でやってくる海人族が変化する。
港は、食物、水の供給地である他、舟の原料の材木の供給地でもある。
季節が変われば、異なる海人族が、同じ港を拠点にし、活動する事になった。
合図は、音。
石笛か土笛かの種類によりどちらの海人族かがわかった。

次に海の神、名は大綿津見神が生まれる。
次に水戸の神、名は速秋津日子神、妹速秋津比売神を生む。

大綿津見神は、富山県魚津黒部沿岸にかつて存在した越の潟。
射水市の放生津と混同されているが、古代越の潟と言えば、この県東沿岸にあった。いまはもうなくなってしまった潟。昔、生地港があった場所。
この潟に注ぐ川が早月川。
港は生地(いくじ)と呼ばれるが、綿津見との関係から言えば真綿の生地の出荷場所と推測される。

速秋津日子神は、月齢で計算された秋分を意味し、日子は月の光の子ー太陰暦を示す。
妹速秋津比売は、月と星占いの神。

古事記において日子は暦を、比売は星占いを指すと考えられる。

この二神から河海に別けて生まれるのが
沫那芸神と沫那美神。
頬那芸神と頬那美神。
天之水分神、国之水分神。
天之久比奢母智恵子神、国之久比奢母智神。

この説明をする前に潟の特徴を説明せねばならない。
入江のことで、淡水と海水が混じり合う場所。
ここは多様な生き物が生息し、渡り鳥の飛来地ともなる。魚や鳥を投網や投げ縄で捕獲した。
沫那芸、頬那芸はその網や縄の仕掛け技術。
沫那美、頬那美はその美しい網目縄目になる。

天之水分神は、天空の海と川とが合流する魚座。
国之水分神は、早月川(大伴家持が歌によんだ延槻川)

捕鯨の歴史は古く、紀元前3000年前には日本海でその痕跡を残す遺跡が発掘されている。
日本の捕鯨には2種類ある。
狩るタイプと捕まえるタイプ。
海流の関係で、北陸以北の鯨は冬にやってくる。
黒潮圏の鯨は春から初夏にやってくる。
捕鯨の時期も鯨の種類も違う。
重要なのは、鯨は淡水では生きられない。
淡水の混じり合う潟に迷いこむ鯨は衰弱して死ぬ。

鯨一頭で村がひと月困らないと言われるくらい、貴重な食糧となった。食糧だけでなく油も手に入る。
網、縄の品質技術の向上により、この大型の生き物の捕獲が可能になった。

天之久比奢母智神は、くじら座ミラ。
うお座の合流点の延長にある。
変光星である。光度が大きく変化し、見えたり見えなくなったりする。
奢母智は「しゃもじ」に掛けられ、飯に困らない事を示す。

国之久比奢母智神は、鯨。

このように、神々は富山県東部の文化を象徴する。

これは神武天皇の回に登場する弟宇迦斯が読む歌と対応している。

宇陀の 高城に シギ罠張る 我が待つや
シギは障らず いすくはし 鯨障る
えーしやこしや あーしやこしや

越の国の鯨取りの歌である。






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