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百足らず八十の秘密

枕詞の「百足らず八十(五十)」
百に足りない事を言うとあるが、
百に足りないにしては、足りな過ぎではないだろうか

この謎を解いていきたい

まず百の言葉遊びとして
百引く一は、白。白寿は99歳を意味する。
九十九は、ツクモ。
九十九折りは、ツヅラおり。クネクネ折れ曲がる様。

私が百足らずと表現するなら九十九を選ぶ。
もしくは白か。

それが何故、八十(やそ)なのか?
「そ」は曽、重なるを意味する。
八を重ねると、八八もしくは八卦(64)

ここから、九進法で数字を扱う。数字を9で括る。
9で繰り上げ、クク理にする。

九進法における10は9の1乗で9。
九進法で10−1=8
九進法における100は、9の2乗であり、十進法では81。
九進法で100−1=88である。
十進法では81−1=80

百足らずのトリックが見えてくる。
80と88を巧みに引っ掛けた。


そして、1を引く作業により、8が重なっていく。
九進法の1000は、9の3乗。
九進法で1000−1=888
以下
10000は9の4乗
10000−1=8888

百に一つ足りないのは、八曽の理であり、クク理。
だが何故九進法を用いていたのだろう?
9で括るのに何か実用性があったからか。
8を重ねる事にも意味があるようだ。

一方、百足らず五十もある。
五十はイと読む。
十は重で重ねる。
六進法が基準となる。
六進法で100は、6の2乗で十進法では36
六進法で100−1=55、十進法では35
六進法で1000−1=555、十進法では215
六進法で10000−1=5555、十進法では1295
六進法にすると、もっとわかりやすい。
1を引くと十進法では5の倍数となり、六進法では5が重なる。
六進法で百足らずは55、五重=五十となる。

六進法の重要性の鍵はサイコロにあると思う。
六面体のサイコロ。

日本語には、「六→三十六」という六進法に基づく語彙や名数が存在している。
例として、全ての方角を指して「六合」「六方」と呼んだり、全ての景色を指して「三十六景」「三十六峰」、全ての方策を指して「三十六策」というように、空間や方角に関する語彙に六進法が用いられている。
歌仙も「六歌仙」や「三十六歌仙」というように、六の累乗で数えられている。
これらの数え方は、十進法が「十指の二乗で百」に対して、六進法は「六面の二乗で三十六」という発想に基づいている。

占いと歌に深い関連があると想像する。
サイコロを振り、方角や吉凶を判断する。
語呂合わせやリズムにより歌を作り、内容を覚えたのだろう。

もう一つ、百足らずのトリックがある。
古事記で伊邪那岐が黄泉比良坂の坂本で投げた桃は3つ。
この桃により、八くさの雷神と千五百の黄泉軍を撃退した。この功績により、桃子は意富加牟豆美命という名前を賜った。

百は「もも」なので、桃が掛けられている。
伊邪那岐の投げた桃は3つ。
モモ自体がモを重ねている。
百は毛毛とも書かれている。
重ねる事に鍵がある。
さらに毛である。

易経

この八十、五十には易占(卦)の概念が関わる。
易占いの方法として、まず筮竹50本を用いる。

筮竹をまず1本除いて(太極)、右手で二分する。
右手に分かれたうち1本を左手小指と薬指に挟む。左手に掴んだ筮竹を8本ずつ払う。
残りの筮竹が8で割り切れない所まで払ったら、小指に挟んだ1本を足す。
こうして卦の象数が得られる。これを二回行う。
同様に6本ずつ払うと爻位が得られる。

筮竹ではなく、8面体のサイコロ2個と6面体のサイコロ1個を用いて行う方法もある。
桃は、おそらくサイコロを指す。
筮竹を使用せず、サイコロを振った。
そのため、1本足す動作が無くなった。
この1本が重要であった。
故に桃(サイコロ法)には、1が足りないのである。

も一つ、百足は「ムカデ」と読む。
古事記で大国主が須佐男から与えられる試練にムカデが登場する。この辺も何かしら関わっている気がする。

百足らず八十(五十)に
占いと歌の文化が見てとれる。
日本文学をリードしてきた一族。
歌に秘められた一族の歴史。

ちょっと話を九十九に戻す。
ツクモ、付喪神。
百足らず八十と付喪神の一族にも深い関わりがあると想像している。










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