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風水と龍と金星 登美能那賀須泥毘古

登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)
神武天皇が天下を平らげる際に強敵となった相手。

とみの・ながすねひこ
言葉の響きからは
豊富な(東海の)・流す音

漢字の意味からはその具体的内容が読み取れる

登 トウ、ト、のぼる、すすめる、みのる
癶(はつ)と豆とに従う
癶は両足をそろえる形で出発の時の姿勢
豆は踏み台の形
説文では「車に上るなり」としている
北斗七星は天帝の車に見立てられるが、関連性をもつと思われる。
北斗七星の台座が倒立する様が豆だろう。
北斗七星が明け方東の空に倒立する季節。11月頃。
天体の出発点を合わせた。
つまり時間の針を合わせた。

美 ビ、うつくしい、よい、ほめる
羊の全形とあるが、
卜文には人が頭に羽飾を加えている字形があり先端が左右に垂れ、用義を知り難いとある。
羽飾を頭につけた人形はおそらく西王母の原型ではなかろうか
西王母は頭に勝という簪をさす。
勝に関して機織りによって象徴される何かをその根本にもつと考えられており、七夕とも無関係ではないようだ。
西王母の概念形成には金星が関わっていると推測している。また、こと座ベガも何かしら関与するが、ここでは触れない。
日の出前日没後に空に光り輝く金星。
美の女神ヴィーナスやイシュタルは金星である。
つまり金星は美そのものであった。

能 ノウ、タイ、よくする、たえる、おさめる
水中の昆虫の形とあるが、
説文では「熊の属なり、足は鹿に似たり」とあり玉篇では「3足の鼈(スッポン)」とする
この文字の本源は容易に明らかにし難いとある。

さて、能は態でも表され、態は佩(帯から巾を垂れる)と韻される。
能は蠃(ヤドカリ)の象形と似ているとある。
裸を示す文字は、この蠃(ラ)に共通する声符をもつ。
3足と裸、家を背負う生き物に着目すると、
船上に居住する裸体の海人。
3足は、褌(ふんどし)の帯を垂らす姿。
よって佩と韻される。
能は海人族を示している。

那 ナ、ダ、美しい、おおい、なんぞ
冉(ぜん)声。冉は日母で燃、熱などの声がある。
日母は太陽とされるが、元はおそらく金星だろう。
日の概念形成時に念頭にあったのは、太陽ではない。
それが農耕文化の発展により太陽に置き換えられたと想像する。

賀 が、いわう、よろこぶ
加と貝に従い、力と貝は生産力を高めるもので
両者を合わせて生子儀礼、農耕儀礼に用いる字。
嘉と声義が近い。説文では嘉は「美なり」と訓する

須 シュ、ひげ、もちいる、まつ、すべからく
頁と彡に従う。彡はひげ。
ヒゲは金星と関わる。
バビロニアでは金星は女神イシュタルと呼ばれたが
強く輝く時(最大光度)にはその光をヒゲとみて
ヒゲのあるイシュタルと呼んだ。
惑星の中でも金星を天の女王として最も崇拝し、
毎日の出入りを記録したそうだ。
つまり金星は観測データが豊富に揃った。

泥 デイ、どろ、ぬかるみ、なずむ
声符は尼。
尼は昵(じつ)で、相なずむ意味。男女の事を示す字。

以上の結果、漢字の登美能那賀須泥は何を伝えたか
美と男女の理(明けと宵)つまり金星と、海人の世界を
示した。

神武天皇が手こずったのは、海人族の文化であり、金星の法則であった。

では、海人族と金星を結びつけたものは何か?

風である。
豊富な・流す音は、様々な知らせをもたらす風を意味する、また東の海上にその知らせをみた(夜明け前の空)

水星が水なら、金星は風。
夜明け前と日没後は水星と金星が輝く。
各々の軌跡を観測して、龍の象形を生み出した。
インドの古代神話では金星は男神シュクラで
「十六の光をもつ神」と呼ばれた。
一六に注目したい。
風を示す方位は16方位。
金星の光が風の季節を知らせた。
金星は最大光度では昼でも見える。
つまり、観測側の観測条件を暗い穴にし、ピンホールの原理を用いれば昼でも観測は可能となる。

風 フウ、かぜ、ふく、おしえ、ならわし
声符は凡。
凡は盤(舟)の形。
他に波及する意味をもち風の声符となる。
風は鳳形の鳥の飛翔により生ずると考えられた。
風によって移動するものである。
舟と風=海人族だろう。

雲もまた、風により移動する。
登美毘古の妹、登美夜毘売(とみやひめ)
おそらく「とみや」は斗宮。
水を汲む斗(柄杓)が雲。
雲は風と水を象徴する。
よって登美夜毘売は邇芸速日(水星)と結びつく。

雲 ウン、くも
声符は云(うん)、云は、くも、いう、ここに。
云は雲の初文。山川の气なり。雨に従う。
云は雲気の流れる下に竜が尾を巻いている形。
雲の中には竜がいると考えられていた。
云に近い字形に旬がある。
旬も竜形の神と考えられていたようで勹(ほう)は九の字形に近く、竜が尾を内に巻く形である。
旬は十日をいう。
殷の暦法は十日を単位とし、その一旬を支配する神霊として竜形の神が考えられたようだ。
卜辞には雲神への祀礼が盛んであったが周の時代には自然神的性格を失っていくようだ。
尾を内に巻く竜の形、さらに10日で一巡する天体、水星。

金星と水星の観測が、風水の元になった。

















雲 ウン、くも 声符は云(うん)
云は雲の初文。のちに雨を加えて雲となった。
説文によれば「山川の气なり。雨に従う。
云は雲の回転する形に象る」とあるが
云は雲気の流れる下に雲中の竜が尾を内に巻いている形で雲の中に竜がいると考えられていた。
卜辞では「きたれる云ありて東よりす、面母なり」のように方位やその雲気によってそれぞれ特定の名がつけられていた。

云は「いう、ここに」のように別の義に用いる。
云為とは言動の意味。龍を司る人が発言する権限をもつからこのような意味をもつに至ったのではなかろうか。

云に近い字形に旬があり、これも竜形の神と考えられていたらしく、勹(ほう)は九の形に近い。
旬は10日で、殷の暦法は10日単位とするものであった。
10で日をくくる。
つまり10進法の考え方となる。
10日が基本となる理由は何であったか。
ここに九形の龍の答えがある。

風は、フウ、かぜ、ふく、おしえ、ならわし
声符は凡(はん)
凡は盤(舟)の形で、他に波及する意味を持つことから
風の声符となった。
風は古く鳳とかかれ、風は鳳の飛翔により生ずると考えられた。



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