萬葉集 多知夜麻に込めた祈り

大伴家持が越中守として赴任した間に、数多くの歌を詠んだ
その中に立山を詠んだものは
立山賦として知られる

皇神のうしはきいます立山
神ながら御名におはせる、白雲の千重をおしわけ、天そそり高き立山
など、立山を神の領有支配する、神山と仰ぐ思想が強く打ち出されている

立山は、萬葉集では多知夜麻と表記される。
柳田国男は、タチヤマは顕ち山すなわち神の顕現する山の意であると説く。

果たして家持は、赴任してこの山の壮大さにただ感嘆しただけなのだろうか。

そうではなく、多知夜麻という表記に、「全て」を込めている気がしてならない

麻という漢字は、マ、あさ、もふく と読まれる。
麻は多く神事に用い、喪服には麻を喪の徽章とする。

夜は夜中であるが、夜の象形は人影が横斜する形。
人の伏す形と解されるが、私は全く違う解釈をしている。
満月など月が明るい夜、人影が出来る夜を指す。
元々の語源は、月の月齢にあったと思う。
朝昼夕夜の漢字の象形は、明らかに説明にならない解釈がなされている。
その根本的な理由は、その漢字成立時の時間の概念が24時間の概念ではないからだと思う。
日も、太陽のごとく信じられているが、光そのものを意味している。
つまり、漢字の象形成立時の時間の概念(月基準)と、現在の時間の概念(太陽基準)に乖離があるのだ。

月は、生死と密接に結びついている。
潮の満ち引きを惹起し、潮が満ちれば出産を、潮が引けば死を誘引する。
月と海の間にも切っても切れない繋がりがある。

つまり家持の歌は、越の、立山の、死と再生を司る神としての存在意義を詠んでいる。

日本中、どこにでも山はある。
だが、立山でなくてはいけない理由があった。

フォッサマグナとも密接に関係している。

糸魚川の翡翠が重要であったのはこの理由からだろう。

大伴家持の一族は、その歴史を知っていた。
立山開山伝説の佐伯氏は、大伴氏と同族。
大伴氏の祖は、神武天皇に同行する道臣命。
神武天皇に降参した邇芸速日命。
邇芸速日と登美夜毘売との子、宇摩志麻遅命、
こは物部連、穂積臣、采女の臣が祖。
神武天皇は何を象徴しているのか。

人ではない何か。
人類にとって必要不可欠な何か
その何かを生み出した秘密が多知夜麻にある。














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