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神話解体新書 古事記 番外編 菊と刀と八岐大蛇
日本人の心理を考察し、その矛盾した行動を鋭く分析したのは文化人類学者ルース・ベネディクト「菊と刀」である。
彼が象徴的に捉えたのが菊と刀。
軍事を優先しながら美も追求するのが日本人らしい。
さて、菊の御紋は16花弁である。
何を象徴しているのか。
16等分された円(自然)である。
刀はその線。
自然を切っている。
線と線の間に空間がある。それが花弁である。
空間と線。
円は16等分された。空間は16等分された。
では線の分の間はどうなるのか?
これが古代から解消されねばならない問題であった。
自然を時間で区分したら、連続性が断ち切られる。
その線はグラデーションのようにぼかす必要があった。
古代の色彩認識は赤、白、青、黒の4種類だけだったそうだ。
赤は「明るい」
白は「著しい」
青は「ぼんやりした」
黒は「暗い」
朝、昼、夕、夜の色彩だろう。
夕方の空色は重層的な色彩をなす。
その時間帯だけが、連続性を持った時間となるのだ。
遊びの間、調整の間となる。
遅めたり、早めたり、縮めたり、広げたり。
太陽の沈む時間帯と沈む角度の違いで夕時は変化する。
地平線に沈む角度は、三日月の形を見ればわかる。
月の弦と弧の中点を結んだ線の延長に太陽がいる。
月が寝ていれば、早く夜を迎え、月が立っていれば夕方の時間が伸びる。射入角が浅ければ沈むのに時間がかかるからだ。
こうして古代の人々は夕方を時間の調整をはかる間とした。
それは1年でみれば秋である。
秋の月が立つからだ。夕暮れの時間が長い。
かつては、秋に新年を迎えた。
その調整期間が立秋。
8月7日頃。
旧暦では7月。
この頃の伝統行事は「七夕」「お盆」。
七夕は一年に一度、織姫と彦星が出会える日。
雨が降れば出会えない。
時を合わせる為に、織姫ベガと彦星アルタイルを見ていた。雨が降れば観測できない為、時間合わせができなくなるからだ。
お盆は先祖を3日間もてなす日である。
七夕から更に1週間後、次は3日間の太陽の日の入り場所を見る。反転する場所の確認である。
北寄りに沈んでいたのが、再び南方向に転じる日を確認した。
夏が暑さのピークを迎え、水は枯渇し、疫病が蔓延する時期である。ご先祖の力(過去のデータ)を借りて魔(間)を祓い、溜まったズレを水に流した。
こうして新年を迎える準備=時間合わせを行なっていた。
自然の頭と尾が一致するように。
それが大変な作業であった。
八岐大蛇退治はその作業を象徴している。
8頭8尾の怪物は、頭が8あり、尾が8ある。
その身体は切っても切っても生えてくる。
循環している為、切れない。
「醸み八塩折の酒、垣を作り直し、垣に八つの門を作り、門毎に佐受岐を結い、その佐受岐毎に酒船を置いて、船毎に八塩折酒を盛って待て」と命じ、オロチが頭を酒船に入れて酔った所で、十拳剣でオロチを切った。
醸み八塩折とは、正方形の紙を左右均等に8回折っていき開く。
そこに出来た折れ目を結び八角形を作る。角毎に内角を結び、それを半々にするよう裂ける線(酒船)を作る。
その線上に八角形(八塩折酒)をおく。
作図方法を説明している。
一点から8方(酒船)に対して10進法で切る。
8×8=64 64方位ができる。
16方位×4季でもある。
風水、八卦である。
須佐之男は川から流れてくる箸を見つけたが、筮竹だろう。
オロチの尾を切った所で発見したのが草那芸の大刀(都牟刈の大刀)である。
天照大神に献上され、伊勢神宮の倭比売から倭建へ、さらに熱田神宮へと手渡されていく。
この場所は日本の大地を守る重要な場所。
越の八岐大蛇は、たくさん存在しているが、この須佐之男に退治されたオロチは、富山県八尾と山田村を走る牛首断層をさしている(牟は牛を意味する漢字)
山田村は八岐の頭川、八尾が尾側にあたる。
牛首断層は有峰の辺りで終わる。
その前にある尖山の鉄が地盤を固めているからだろう。
尖山は度重なる落雷で磁石が狂ったとされるが、むしろ地下に眠る鉄が落雷を引き寄せたのではないだろうか。
尖山の布倉比売は、鉄と深く関わっている。
この地で製鉄刀鍛治が密かに営まれていたと思っている。
鉄は、地盤を固め、地震の揺れを防ぐ。
地鎮(災害を切る)の役割として刀が生み出されたのでは
ないだろうか。
自然の時を知る道具としての区切りをつくる刀(規矩)
災害を防ぐために作られた刀
菊(規矩)は季節を知らせる道具として(菊は秋の花、夜の時間が長くなると開花する)
刀は災いから身を守るための道具として。
ベネディクトが矛盾と感じた日本人の魂は、
自然を愛で、できるだけ自然に近い形で時間を捕えようとした魂と、
愛する者を災害から守ろうとする魂が作りだした日本人の姿である。