自分から苦しみにいく辛さ
まさか、自分から、苦しみたいとおもうなんてない。と、皆はゆう。
だって、みんな苦しいことが嫌じゃん。そんなこと、分かり切っている、なんて簡単にいう。
つくづく、浅いな、なんて思う。
苦しみたくて、苦しみをつかむのではない。
苦しむことでしか、生きる、を実感できない人間がいるということ。
この部分だけみると、
苦しむ、と、生きる、は、真逆に持っていきたいはずなのに、どうして?と疑問をぶつけられることも多い。
でも、確かに、存在する、人たち。
苦しみ、の、先に、
苦しんでいる、自分の先に、
苦しんでいる、から、こそ、
苦しまないと、実感できない、
生きる
生きている
自分。
言うまでもなく、そんな生き方は、めちゃくちゃしんどい。苦しい。
できることなら、幸せ、の先に、生きるを味わいたいに決まっている。
でも、
でも、なんだよな。
そんな、あたりまえで、
そんな簡単なことが、
したくないんではなく、
できない。
やり方がわからない。
どうしたらいいかわからない。
もがき、苦しんでも、答えはつかめない。
周りがうらやましく感じる。
周りと比べて一喜一憂する。
例え、周りと比べて、優れているところがあっても、そこには、重きをおけない。おきたくないんではなく、置けない。
私は仕事柄、このような一生懸命に苦しむ方々と触れ合う時、
ほんとに、よく、頑張って、生きてきてくれたな、とおもえてならない。
そのくらい、辛いことだ。
生まれ持った脆弱性、というより、それに掛け算式になる、家庭環境なのかなとおもう。
親も、周りも、悪気はないかもしれないが、やり方が、悪かった、とおもう、、責める気はないが、本人が、苦しむ先の生きる、しか感じられず、その先に、2時障害的な疾患を発症したときは、立ち止まり、相手ではなく、自分を、みなおしてほしい。わたしは、なんどとなく、保護者さんに、お願いしてきた。
誰も悪くはない。
だからこそ、立ち止まってほしいと。
精神疾患には沢山の種類がある。
気質的なもの、から、寛解や完治するもの、付き合って生きていくもの。
いま、苦しみの、先にしか、生きる、を実感できない方が、何もわからず、ただ、苦しんでいるとしたら、まずは、それがあなたを守ってきた防衛的生き方であること、あなたが生きるために無意識に敷いたレールであること、そして、何より、一生懸命に何とか生きていこうとしている、あなた、であるということに、ほんの少し、気づいてあげてほしい。
なにより、あなたは、頑張っているのだから。
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