おかんという重み・その1
2021年になりましたね。
おかげさまでなんとか新年迎えられました。あ、お節詰めれたの今日の2時ですけどね。お昼のw
まあフル仕事しながらおかんしてると、仕事優先でどうしても家のことは後回しになっちゃいますね。ま、しゃーない。息子たちすまぬ。
私は3人の息子の母なわけですが、実は若かりし頃は結婚もしたくないし子どもを産むなんて以ての外、とおもてました。
うちの亡き母は、長男に嫁いできて、舅姑と同居、新婚当時は父の弟ふたりもまだ実家暮らしだったため、弟たちとも同居というごった煮みたいな家で、おじいちゃんは土木系の下請けの小さな工務店をやってたので、家に隣接した(家の中で繋がってる)工務店の事務所の社員さん達も日中はすぐ近くに居てるという状況でした。
姑は(私のおばあちゃんですね)若いとき病気がちだったこともあり、おじいちゃんは言いなりでw 姑元来の気の強さもあいまって、母は毎日が楽しそうではありませんでした。だから結婚なんてものに憧れることもなけりゃ、人生の墓場みたいなもんで、めいっぱい好きなことやりきって、もうどうしてもって人に出会ったらいろいろやりきったその後に結婚考えてもいいかな、ま、できたらしたくないけどな、って思ってましたw
唯一、ひとり娘である私にかこつけて、習い事の送り迎えだとか、私の買い物ついでに外で発散するのが自分らしい時間だったと思います。
そんな母は昭和13年生まれにしては長身の美人さんでスタイルも良く、私は小さいころ「なぜ私は母に似なかったのか。」と思うくらいの憧れの女性でした。
のちのち「なんで似なかったのか。」の理由は、私が実の子ではなかったからだと知るわけですが。
ひとり娘というのは、母の鬱憤の全てを受け止める立場にあります。いや、そんなことない人もいてるかもしれんけど、それはかなり幸運。そんなあなたはラッキーですw
いきなり機嫌悪いなと思ったら、父の愚痴がスタート。なんやねん。腹立つんは親父のほうかい。私にあたってんのかい。てなことは日常茶飯事です。有名なクリスマスチョコ事件というのもありましたが、それはまた今度で。
そんなこんなで結婚生活のめんどくささしか見ずに大人の女に育った私は、元々の素質がちょっと偏屈だったこともあって、自分に自信が全くありませんでした。
美人でスタイルのいい母に似てない私、つまり美人でもなくよく肥えた私(肥えてたんですよ、ほんまに。)。
あげくに何をやってもどんくさい。運動神経はどこかに置き忘れてきたのかと思うほど、スポーツは苦手。空気を読むのもへたくそで、女友達との付き合いもよくミスる。
そんな私を母は
「あんたは何やらしてもあかんな。」
「私なんかソフトボールもバレーボールもなんでもやってきたのに、なんでそんなに運動神経ないの。」
そんなことは普通に言われてました。
自分に自信など持てるはずがないw
そんな私が子どもを産んだらですよ?こんなダメな人間のDNAを受け継いだ子どもが産まれたらさぞ辛い思いをさせてしまって、そんな罪深いことできない!って思ってたわけです。
ですが、人生ってまぁいろいろありますよね。ある日突然結婚することになるわけですw
詳しくは語る時期ではないので今回は書きませんが、とにかく結婚したのです。婚姻届出さないといけない。そこで自分が養女だと知るわけです。