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おかんという重み・その2

そこでですね。なにを思ったかと言うと、こんな不出来な娘をですね。実の子でもないのに育ててくれた両親の無償の愛というものに私は驚愕したわけです。

いや、そんなことできるの?血も繋がってない子をこんなに大事に育てるとか。

ホンマに感謝したとともに、ものすごい喪失感にも襲われました。

血の繋がりのあるひとが私にはひとりもいない。あの気が強いおばあちゃんも、私に甘いおじいちゃんも、学者みたいな言動の父も、そして私の憧れだった母も。

それをきっかけに子どもを持ちたいと思うようになったわけです。血の繋がった家族が欲しいと。

その後、幸運にも息子を3人も授けてもらったわけで、ほんとうに宝もののような存在となったのですが、まず1人目を産む時からすでに大事過ぎて、愛しすぎて、これはいかんと自分を律するためにいちばんに決めたことは

「溺愛し過ぎてはいけない。」

そして、

「いつかは巣立っていくんだから、それまでお預かりしているだけであって、私の所有物でも分身でもなんでもない。モノも喋れない赤ちゃんのときからすでに、この子はひとりの別の人間なのだ。」

と考えました。

そしてちょっとのことでも

「すごいやん~。ママそんなんできひんのに~。」と、ことある毎にほめる、ということを心がけました。私みたいに自信の持てない人間になってしまわないように。

かわいいかわいい、なんでそんなにかわいいの、と抱きしめながら、お預かりしている存在だから溺愛しすぎてはいけない、とブレーキをかけるという、自分ルールのなかで母をやってきて今年で24年。

途中でびっくりするようなトラブルだって、アクシデントだって、もちろん何回も何回もありました。それも息子3人分。未だに母としての自分がこれでいいのかわからないけど、親というもの、特に母親というものは、子どもにものすごく影響力のあるものだと自分自身が実感しているだけに、プレッシャーもすごい。毎日毎日、これでよかったのかな、私がもうちょいこうしてればよかったのかな、と行ったり来たり。

たぶん世の多くの母親たちは似たようなことを毎日繰り返してると思う。

私のまわりには、母親との確執が拗れて、いまの自分の性格形成に大きな影響を及ぼしていて、大人になった今でもなにかしら苦しんだりしているひとがちょいちょいいます。

聞いているとだいたいは、子どもに過干渉で「母の絶対」を押し付けすぎる傾向がはっきり見える。大人になってもまるで成長していない子どものように扱う。そして当の母親はそれに気がついていなくて「あんたはなにもできひんから!」と、30も40も過ぎた子どもに上から言う。いや、もうほっとこw あかんて構い過ぎたら。過ぎたるは及ばざるが如しやで。

ちなみに我が家では小学生まではバッキバキに叱り倒しますが、中一からは放置と決めていますw いや、これが良いんかどうかは知らんけど、私の中のルールですw 中一にもなればいっちょ前に頭使えるはずやと思ってて。

いい意味でも悪い意味でもとんでもなく大きな存在であるおかん。その力は子どもに重くのしかかり、そしておかんになるということはその責任を一生かけて背負うという重み。

そう言えば母にも祖母にもあまり料理を教えられたことはないままふたりとも亡くなったけど、好きだった味は覚えている。

お正月になると必ず母が用意した海老の甘酢漬け。関西らしい甘い味。

お雑煮は、祖父母の出身が信州、母方は大阪とバラバラだから、三が日のあいだはいろいろな味で出てきた。

私は母の作る出汁文化の料理が好きだった。

鶏が食べられないのに私が好きだからとしょっちゅう鶏メニューを作ってくれた母。

こうやって、死ぬまで年末年始になると母の味を思い返しては、こんなんだったかなぁといつまでも越えられないような気持ちで懐かしむのだろうなぁ。

大晦日に我が家に来てくれた叔父が、三男を叱る私を見て

「わはは、姉ちゃん(母のこと)にそっくりやなぁ。そのまんまや、姉ちゃんかと思たわ。」と言った。同じようになってるんやwと不思議な気持ちになった。血の繋がりなんかなくても、受け継ぐものはあるのだな。

私の息子たちは、私のことをいずれ思い返すようになるとき、なんの味を思い浮かべるのだろうかと、考えてみたりする今年の元旦です。

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きのひら ゆき
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