たまには

 久々にこちらを閲覧したところ、敬愛なる友人たちが更新をしていたので私も更新しようといった謎めきすぎる軽率な動機で書く。もっとみんな更新してほしい。 

 どうでもいいことだが転職活動を始めた。最も大きな動機としては「飽きたため」である。現状職場の方針といえば、現状維持が精一杯のようで、新しい技術を覚える必要性があったり、よりよい製品を作る等々について全く必要としていない。できる改善も特になく、停滞を良しとするようなので飽きた。待遇の問題だけではない、人としてこの集団に属していることが嫌になったこともある。

 多分私にとって「退屈」はつらいことで、労働をするならば建設的な意味で楽しみながら取り組みたいと常々考えているのだけど、なかなかにそれが難しい状態になってきた。無論労働そのものは嫌いだが、やらねばならぬことが眼の前にあるなら、最善を尽くしたい。ただこういった態度が、現状の経営陣にとっては「容易に搾取をしても文句も言わない愚鈍な社畜」として映ってしまったようだ。このような人々が今後どのように変わろうと、本質まで変化することに期待をする時間は私の人生においては存在しない。

 私はそういう意味では間抜けである。要領よく、他の人間のように昼寝をしたり、人によって態度を変えては、機嫌によって相手をコントロールしたり、裏で文句や陰口によって集団を統制する仕草など、様々な処世術とやらを駆使しておけば、別に問題なく今の生活は保たれる。わざわざ波風を立てるような行動を起こし、引き受けることから逃げないような人間は「間抜け」なのである。

 楽をしたい。朝にお布団から出たい人類なんかいない。お布団の中で映画を観たい。でも皆がお布団から出ることで、ゲームも映画もつくられていると思うとちょっと出ようと考えたりする。みんながお布団から出なかったら、明日からコンビニも営業停止だ。でも、みんなきっと、楽したい。お布団大好き。

 そんな前提なんて、誰もが持っている(と思うけど)のに「自分だけ楽したいぜ」といったお気持ちにはなかなか素直に従えない自分がいる。苦労ばかり背負ってバカなやつだという嘲笑も一定の理解はするけれど、間抜けなのでそのスタンスに立つことができない。

 自分が出来ないこと、やっていないことはたくさんあるけど、自分の知らないところで誰かが担っているそんな社会構造に思いを馳せる。楽はそこから生み出されるものでもあったりする。かわりに苦を請け負うなにかもある。

 なんとなく、最近は別の視点も仕入れられるようになって「もうちょっと世界は優しいかもしれない」と毛布の隙間からだけど、多少は見る気力が湧いてきた。しかし毛布は離さない。

 いい事言ったけど、むちゃくちゃな我儘は言いたいし、適度に楽はしたいし温泉には入りたいぜという願望を抱き、春と冬を忙しく往復する窓外を観察をしながら間抜け人間は今日も息をしている。要約、私は元気です。

 やっぱり偶には文章を書くとすっきりするなー。好き。