随筆すき
何故ソシュールの本などを買ってしまったのかと開くたびに後悔をしながらそっと閉じ、寺田寅彦の随筆集を開く。本日は雨なり。思わず窓を開け放つ。紫外線も少なく、そしてPCの前に座っていても涼しく快適だ。私のPCはクローゼットを開放した中に机、モニタ、割と巨大なタワー型PCが設置されているために、この季節から熱源となる。うっかりしていると周辺は容易に30℃に達す。
科学随筆集なるものを手に取って読んだところ、寺田寅彦の随筆に親近感などを覚えたので、他の作品も読み進めているところだ。作品によって文章の構成が少し異なる特徴、観察したままを文章に書き出す編と、出来事を浮かべそれに対して思考を練りながら書いていると思われる編がある。少なくとも私の直感であるが、その両者の構成が私にとってはとても身近なのだ。
「秋の歌」のような音楽を聴いて、幻想にふける編がある。私も音楽の授業の際に、曲の感想か何かの課題でそんな長文を書き殴った記憶がよみがえった。恐らく想定される正解とは程遠く、そのときの教師には無視された気がする。多分「そういうこと」ではなかったのだろう。でもきっと寺田寅彦が担当だったら何かしらの意見や回答をもらえただろうと思えたので、それはちょっと嬉しい発見だったかもしれない。
「浅草紙」のような考察は時々私もやっている(もちろん私のそれは素人の妄想だが)。そのへんに落ちているものやあるものをなんとなく拾っては、しげしげと眺める。その時間はとても豊かで集中できるところに癒やしもあり、私にとっては精神安定剤のような行動にもなのだと思う。でも落ちた花びらを一枚拾って眺めている姿は少々異様かもしれないし、人が無視しがちなものが気になるところがあるし、時々オカルトなことを言い出すので友達が少なくても仕方がないなと思いかえした。少し尖った得意技や名声がないと、タダの変人で終わる事もよくわかる。
「浅間山麓より」や「雨の上高地」などの旅先での話も実によい。写真で表現をすることも好きだが、文章でその場の大気や色、温度、人、建物、そこにみえた「趣」を知識を元に解説しているところは私の好みでもある。突然現れるユーモアな描写もあり実にバランスもいい。とにかく読んでいて好奇心も高まるうえ、目にみえたもの、考察を誠実に表現しているから(しつこいようだがこのタイプが私は大変に好きである)、読み進めると寺田が見たであろう風光や、人の様子が私の脳内に構築されてゆくプロセスがなんとも楽しいのである。書き始めると読了分全編の感想を書くことになりそうなので、このあたりでやめておこう。青空文庫でも読むことが出来るので随筆好きにはお勧めしておく。
科学者の随筆はとても好きだ。ファインマンもお気に入りの一つである。一般雑談において、文系や理系などの区分をしては仕方のない議論を目にするけれども、寺田寅彦を見ていると全くそのような分類などをする理由がないだろうと考える。そもそもそんな必要が思い当たらない。気になるなら、好きならば全部やればいい。やらない理由に区分を利用するならそれは勿体ないことだろう。やりたくないだけなのに一々もっともらしい理由を付ける必要は体面的な問題以外に、あまりなさそうでもある。
ちょうど今日のような私が好む大気の様子を的確にあらわした一文があったので、引用して終わろう。「むっちゃ好き」である。
ちなみに開け放しにした窓から、雨が吹き込んで干していたタオルがまた濡れていた。人生っぽいなと思いつつ、また乾かせば良いやとそのままにする土曜日だ。良い週末を。