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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#自律

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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知らず覚えずして苦悩を受く

 先週末のツイキャスでは複数のテーマについて話をするつもりであったところ、(いつものことではあるが)ついつい説明が長くなり、最初の話だけで時間を使いきってしまう仕儀となった。ただ、そうした複数のテーマを通じて視聴者の方々にお伝えしたかったことは結局のところ単純な1つのことであって、それは、「思想や言説の力というものの実際的な強烈さ」ということである。 (※録画視聴パスは、1月2日のエントリより取得できます。)

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いちからせつめいしないとだめ

 先日のキャスで現代日本の諸問題とその根源について論じていたら、徐々にヒートアップしてしまい、久しぶりに(?)お気持ちを爆発させてしまった。 (※録画視聴パスは、1月2日のエントリより取得できます。)

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当たり前のように思える話こそ、順を追って丁寧に考えよう

 先日のエントリで、「人格」や「尊厳」という概念(言葉)の基本的な意義について解説したが、これがわかっていることで、クリアな判断がしやすくなる問題も様々にある。そのうちの1つが、たとえば子供の「自由」や「自律」について、どのように考えるべきかという問題だ。

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「人格」や「尊厳」とは、そもそも一体なんだったのか

 昨日のエントリでは哲学教育の意義について述べたけれども、それでもやはり、「そんなことをやって何のメリットがあるのかわからん」と感じた人はいるかもしれない。そこで今回は、現代日本社会において私たちが日常的に使用している「人格」及び「尊厳」という言葉(概念)に着目して、その哲学的背景について略述してみることにより、こうした疑問に対する別の角度からの回答を試みてみることにしたい。

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ヴィジョンも原理も失った者は、愛した「現実」にすら裏切られる

 この記事を読んで、日本のダメなところについて改めて考えてしまった。

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「人文学」は、あなたが価値判断するための「辞書」にすぎない

「人文学」と価値判断の関係については、今月も複数のエントリを出しているところであるが、この点についてはさらに、補足が必要であるように思われる。具体的には、「人文学者」以外の者が自身の価値判断を公に示そうとする場合において、「人文学」が果たし得る役割についてだ。

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ゾンビに「ゾンビをやめろ」といっても意味がない

 一昨日の夜は、延び延びになっていた今月初の Youtube&ツイキャスライブをようやく実施。Youtubeでの全体公開部分を含む前半は縁側で茶をすする老人のような穏当な話をしていたが、ツイキャスのみの「グローバル資本ご禁制雑談」のほうでは、この一ヶ月強のあいだ様々なニュース等に接することで、溜まりに溜まった公憤を爆発させてしまった。 (※録画視聴パスは、11月1日のエントリから取得できます。)

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