中島卓偉さんと音楽と僕の話
以前、中島卓偉というアーティストの話を少しだけ書いたことがある。
高校生の時、どんなアーティストの楽曲を聞いていた?と聞かれたら「GLAY」や「L'Arc〜en〜Ciel」、「ジャンヌダルク」などがパッと思い浮かぶのだが、特に1番好きだったのは「TAKUI」というソロミュージシャンだった。
僕と同じ福岡県出身。中学を卒業後に上京してソロデビュー。バンドブームの中、ソロでデビュー。作詞、作曲、編曲まで手掛ける上に圧倒的な歌唱力を持つTAKUIは僕の心を鷲掴みにして離さないロックスターだった。
彼を追うようにして高校を卒業後、僕も東京へと上京。何かが変わる。何かを変えたい。そんな想いからの地元脱出であり、心の底から「夢がある」わけではなかった。
あれから20年が経ち、再び僕は中島卓偉さんのことを最近よく考えている。
ことの発端は久しぶりに彼のTwitterを見たこと。
2022年3月31日で長年所属していたレーベル、事務所を離れて独立するという。その一文に僕はドキッとした。
「43歳。残された人生はもう残り半分もないかもしれない」
僕も38歳になりロックスターに夢を見る坊主くんではなくなった。その一方で、彼の今の気持ちが痛いほど分かるようになった。
彼から離れた10数年の間。中島卓偉さんはどんな道を歩んできたのか。その軌跡を追っていると、思わず目頭が熱くなるエピソードが数えきれないほどあった。
中島卓偉さんが「アップフロント」に所属し、楽曲提供をしたこと自体は知っていた。ただ、その楽曲を聴くタイミングはなく、今回の独立を知ってからはじめて耳にした。
最初に聴いたのはつばきファクトリーの「今夜だけ浮かれたかった」。
夏の女の子の気持ちを歌った名曲。全員歌上手いなぁと思っていたら中島卓偉さんのコーラスが響く。
「何じゃこれ!?すげぇ...!
彼が楽曲にコーラスを入れる動画がこちら。昔から上手いとは思っていたけど、上手いを通り越して表現が見つからない。とにかく凄い。語彙力を失うほどに凄い。
ハロプロ好きな友人に聞くと、彼はハロプロファンから強い支持を得ているとのことだ。
SNSを見てみると「いつも素晴らしい曲をありがとうございます」とあった。
“俺”が好きだったロックスターは沢山の人々の心を動かす楽曲を作り続けていたのだ。
彼の影響を受けてハロープロジェクトのメンバーも楽曲を制作したり、楽器に挑戦したりしているそうだ。
ビートルズに影響を受けた中島卓偉さんから新しい世代の人々へ「音楽」が受け継がれている。
「音楽ってやっぱりいいよね」と大切な友だちからの言葉を目にしてさらに胸が熱くなった。
この曲を聴くとなぜか泣いてしまう
続いて「ナインティーンの蜃気楼」。
パッと聴いた瞬間に“TAKUIっぽい”と思った。
疾走感のあるアレンジやメロと骨太なバンドサウンドのハイブリッド。それでいてサビにどこか哀愁があり、転調で最後まで聞き手をビックリさせる仕掛けも忘れない。
この曲をちょうどアニメジャパンのお仕事に向かう途中に聴いたのだが、目頭が熱くなってしょうがなかった。
得意なことも何もないどこにでもいる高校生。やりたいこともそんなにない。平凡な自分に対する怒りはあっても何ができるわけでもない。
勉強もほぼしていないので、本当に何もなかった自分がTAKUIの楽曲を聴いて、オールナイトニッポンRを毎週聴いて、自分も何かを変えたいという衝動を手に入れた。
そんな当時の気持ちを「ナインティーンの蜃気楼」が呼び覚ましのだ。
これから中島卓偉さんは自分の会社をつくり、叶えたい夢を追う。
僕はどうだろう。ちょうどやりたいことに向かっている真っ最中。
ようやく夢というかやりたいことが見えてきた。僕の人生もあと残りどれくらい残っているのか分からない。
「十代こんなもん?二十代はどう?つまらないのだけはやだ」
30代も後半。
「三十代やばい?四十代はどう?つまらないのだけはやだ」
結局、楽しいか楽しくないかは自分が決める。環境じゃなくて気の持ちようだ。
あの頃の衝動に再び出会って、色々なものが僕の中に雪崩れ込んできた。1人になることが辛いので、ひとりぼっちじゃなければ、なんとかなる。
「つぶって何が見えよう 塞いで何が聞こえよう 言わずじゃ伝わらない
「WHO MOVED MY CHEESE?」を読み終えて気付かされたことが2つある
答えはいらない誰のためもない FREE FOR FREE 心臓が生きている
色と目論みを変えて新しい酸素を探すよ」
FREE FOR FREE 作詞・作曲 中島卓偉
明日からまた生きるぞ。