顔の無い産業
見方はさまざまで、色んな意見もあると思うのですが
自分主導で切り開く力と確固たる意思が必要なので
決意を込めて綴る。
昨日、ジュエリーの授賞式があった。
最高位ではなかったけど、
日本で最高の権威のアワード
という中での受賞。
もちろん、きっかけをもらったことについて
感謝はある。
しかし
当然会場へ行く訳だから、行かなければならない理由がある。
つまりは
[自分の言語で]
伝えられる機会があると思っていた。
物の良し悪し。
美しいか否か。
技術力はどうか。
そんな尺度があるのはわかっている。
では、なぜ物は朽ち、新しく生まれるのか。
その始まりは、創造しようとする意思だと思う。
物が全てを語る。
いつの昭和だ。
だったら物に賞を与えたらどうか。
私ではなく。
多様化が尊重されるこの時に、
あなた達が選んだジュエリーの
ルーツに、どんなストーリーがあるのか
誰も知ろうともせず、理解しようともしない。
物事には始まりがある。
それぞれのスタートと、それぞれのプロセスが
あるからこそ、人は唯一無二のものづくりが
出来ると思っている。
だからこそ、クリエイションであり
人の欲求の琴線に触れる事ができる。
ジュエリーも、他に倣い、専業分業か進み、
そのキャラクターの本質を常に放ち続けるブランドは
そう多くない。
だからこそ、産業の活性化と
消費者への
[美しさの伝え方]を良く考えるべきではないだろうか。
業界を後押しするには、ものづくりに潜む
見えないストーリーを、その面白さ、素晴らしさを
伝えるべきだろう。
日本はハイコンテクスト文化という割りには
この辺りは非常におざなりだと思う。
残念でしかたがない。
産業自体に顔を求めてないのであれば
製品に顔があるわけもない。
口八丁手八丁の商品では
伝統と文化に太刀打ち出来るはずもなく
伝統と文化を作れるはずもなく。
あまりにもおざなりな産業に
私の体験から一言。
一体何の権威だろうか。
UK