「生産過程」があるからこそ、男女の役割や子育て(人材育成)が機能する!

戦前、農家では子どもは親の背中を見てるだけで健全に育っていた、しかし現代のサラリーマン家庭は、セックスレスや虐待や子殺し・親殺しなどに見られるように、男女の充足関係も子育て機能も失っている。
それはなぜか?との議長の問いかけに、小学生が答えた。

「協力できてないから」

ひー、見抜かれている!

では、なぜ協力できないのか?できなくなったのか?
さらに追求が進む(^^)

生命史、生物史まで遡っていくと、現代社会のゆがみがよりいっそう突きつけられます!!

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同類闘争こそが、他の動物と、サル・人類を大きく分ける決定的な違い。
相手が他の種であれば、雌でも勝てる(ex.ライオンはメスが狩りをする)。しかし、同類闘争(サル集団同士の闘い)になると、基本的に互角なので、体格の劣るメスは全く戦力にならない。その結果、オスは闘争、雌は出産と子育てという明確な役割分担が生じる。これが少なくともサル人類の原理である。

現在の人類の雄雌関係も混迷の限りのような状態にあるが、セックスレスでは話にならない。そしてその結果が少子化。あるいは親が子供を虐待するといった、ありえないような深刻な問題も起こっている。虐待など、動物には絶対にありえない。これらは人類が根本的に間違ってしまったという証拠です。

改めて、雄雌の役割分担はどうなんだ、というところが見直しを迫られている。

では、これらが生命の原理、自然の摂理と比較して、どこがおかしいのか?
現在の家庭のどこが根本的に狂っているのか?

それは、生物史を貫いて、生産と生殖は2大生命過程であるが、これが動物史・人類史を貫いて、つい戦前農家の時代までは当然一体で同じ集団の中で行われていた。
その集団の中で遊びを通じて、闘争能力、生産能力を身に付けていくことができた。
重要なのは、学校などいらなかった、ということ。親の背中をみて一人前に育ってきた。

しかし、サラリーマン家庭が致命的なのは、完全に生命原理に反している異常事態ということ。
サラリーマン家庭には、生殖と消費しかない。生産がないと子育てはできない。だからこそ、外注先として「学校」「塾」「習い事」などが成りたっているのだが、そこにも本質的な生産課題がないのだから上手くいかない(行き詰る)のは当然で、昔の丁稚奉公のように、仕事現場での育成の方が上手くいくし、何より早い!!

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いかがでしょうか。

生産があるからこそ、どうする?(=課題)があるし、みんなで協力しなければ突破できない!⇒自分が担えることはないか?⇒役割を見出し、主体的に動いていける、のですね。

男女関係どうなる? 子育てどうする?は待ったなしの課題ですが、決して“好みの問題”とか“特別な家のこと(うちは違う)”とか、そういう「個人課題」ではありません。生命原理に照らし合わせて、どうすれば生命として適応できるかという地平で考える必要があるのです!

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