試験脳は、頭を錆びつかせる。~頭を使う(追求する)とは、対象に同化するということ~
ペーパーテスト→成績信仰→左脳偏重→右脳封鎖
社会に出れば答えのない課題ばかりであり、その課題を突破するには、本物の追求力が求められる。ところが、学校では答えが決まっている問題ばかりが与えられる。従って、答えを理解することに大半の脳力が費やされるが、その答えは潜在思念(本能や共認機能や観念原回路)と殆ど繋がらないので、専ら観念機能だけが使われることになる。
そして、観念回路だけを使って答えを理解し続けるうちに、「頭を使うというのは、答えを理解することだ」という試験脳が強固に形成されてしまう。彼らは、丸暗記してきた訳ではなく理解してきたのだから、自分は暗記脳ではないし、充分に頭を使って考えてきたと思い込んでいるが、潜在思念と繋がっていない観念(知識)など、単に暗記脳に蓄積されただけなので、現実に使いこなすことが出来ない。従って、役に立たない。
つまり、観念回路だけを使った理解脳は、実は暗記脳に他ならない。むしろ、丸暗記に比べてより強固に形成されているが故に、しかも自分は十分頭を使ってきたと思いこんでいるだけに、丸暗記よりもたちが悪いのが理解脳=暗記脳である。
学校での「理解させる教育」が、近代観念を刷り込む(=染脳する)ために在ること、即ち理解脳=暗記脳を形成することで本来の思考を停止させ、頭を錆付かせるために在ることを知らなければならない。
ところが、彼らは「答えを理解することが頭を使うことだ」という頭の使い方しか知らないので、社会に出てからも、ひたすらマニュアルやハウツーを理解し吸収することにしか頭を使えない。これは、驚くべきことだが、彼らは学校で形成された試験脳を使って、仕事に対応している。それしか頭の使い方を知らないのである。
その結果、40歳までには、すっかり頭が錆びついてしまい、追求力がゼロに近い脳が出来上がる。もちろん、この試験脳=理解脳=暗記脳は、創造力など全くなく、状況の変化に対応する柔軟性も殆どない。これでは、人々の期待に応えられるわけがない。
更に言えば、このような試験脳しか持ち合わせていない者は、本を読めば読むほど頭が錆付いてゆくので、本など読まない方が良い。では、どうするか?
追求するとは、対象に同化することである。例えば、言語の進化過程を解明しようとすれば、とことん原始人類に同化する必要があるし、人々がどこに向かっているのかを掴もうとすれば、とことん人々に同化する必要があるし、目の前の相手が何を期待しているのかを掴もうとすれば、とことん相手に同化する必要がある。その際、潜在思念(本能や共認機能や観念原回路)を動員しなければ、対象に同化することは決して出来ない。追求の成果は、どこまで対象に同化できたかにかかっている。
そのような追求脳を再生するためには、試験脳(理解脳=暗記脳)から脱却する必要がある。