親の奴隷
大学が春休みになり帰熊した
先月から東京で塾のアルバイトをしている
教えることが好きで塾のバイトをしたが、うまくいかないことも多くジュクチョーのところに相談に行くことにした
「先日、生徒さんの親御さんと話す機会があったのですが、『うちの子にはこれをして下さい、あれをして下さい』とリクエストが多いのです。僕としてはこうしたほうがいいのにと思うのですが」
「親御さんの『奴隷』になるな」とジュクチョーはカップラーメンにお湯を注ぎながら言った
「どういうことですか?」
「家を建てるとき、お客様がここはこうして欲しい、あそこはこうしてほしいと言うことを設計士や職人がその言われるがまま実行に移してしまうと、建物が不恰好になったり、建物の強度が弱くなったり、土台が傾いたり、結果的にお客様にとってマイナスな仕上がりになる」
ジュクチョーは続けた。
「親御さんは、不安にとらわれ、時として、これはしなくていいのですか? この点数では受からないのではないのですか?とおっしゃることがある。
しかし、だからと言って親御様に振り回されてはいけない。
君がやるべきは親御様の気持ちをしっかりと受け止めながらも、こちらの指導方針を丁寧に説明し、現場で教えている君が感じる伸ばし方をお子様に提供するべきだ。
ここが他の職業と塾の教師という仕事の大きな違いだ。お客様が望むことだけではなく、時にはお客様が要求することとは違ったことをしなければならない。
そのような指導や提案ができるようになるためには、日頃から、独善的な考え方にならないように、客観的な視野を持てるように、広い視野を持てるように努力しなければならない」
僕はなるほどと思った。
親御さんの意見をお聞きしながらも、最終的な判断は自分がしなければならない。
非常に責任感の重い仕事をしているのだとあらためて感じた。
「では、よりよい指導ができるため、広い視野を持つには例えばどうしたらいいのですか?」と聞いた。
「専門家にならないようにすることだ」
そう言うと、ジュクチョーはカップラーメンを啜り始めた。
専門家にならないこと・・・・・?
僕は教えることの専門家のような人になることが生徒さんのためになると思っていたが、違うのだろうか
僕は買ってきた胡桃パンを齧りながら考えた
「どう言うことですか?」
ジュクチョーは仕方なさそうに言った
「専門家になればなるほど視野が狭くなるものだ」
なるほど、僕は合点がいった。
子供たちの性格や学力が千差万別なだけではなく、気持ちの状態やモチベーションも日によって違う。
だから、勉強とはこうするべきだという凝り固まった考えで接しても、子供たちには伝わらないし、響かない。
この子にはAパターンの接し方、別の子にはBパターンの接し方をした方が良いし、絶対こうでなくちゃだめだということもない、自分の考え方や価値観を押し付けないようにしなければならない
何かをきわめようとしている人、つまり『専門家』は、えてして、自分のやり方や価値観を押し付けがちになる。
だから、一見矛盾しているようだけれど、『専門家』になりすぎないことが、その子に応じたより効果的な指導ができることにつながるのだ。
このことが合っているかジュクチョーに聞いてみたら、何も言わず背中越しにグッドサインをしてくれた。
熊本にいる間、ジュクチョーの塾を手伝わせて頂けることになった。
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