【オリジナル短編小説】『可哀想』な人
おおよそ結婚や長寿に魅力を見出だすことは、私には困難な話だった。
正直、社会における幸福など今の時代には疑問視されていることだろう。
理由は人それぞれだろうが、私には2つある。
まず一つは、両親が不仲だったこと。
もう一つは、社会の身勝手さを感じたことにある。
両親はどちらとも両極端で、かたや過干渉、かたや無関心という状況で私は育った。
まぁ、簡単に言えばモラハラとネグレクトが同居しているような珍しいパターンかもしれない。
どちらかに遭遇したことのある人はおわかりかもしれないが、片方だけでもとても疲れるものである。
両親の意見の不一致は幼い頃の私を無気力にさせたものだし、頻発する喧嘩やこちらへの尋問は家庭に疑問を持たせるのに充分なものだった。まぁ、その環境のお陰で自立心は養われたと思うが、明るい人間関係を犠牲にして得たようなものである。
幸い『過干渉』のお陰で教育等は受けさせてもらえたが、私の心理状態はいつも滅茶苦茶で、その頃の細かいことは今もあまり思い出せない。
社会の身勝手さについては少し語弊があるが、要は私の求める生き方と社会の要求が噛み合わなかったというところが大きい。
会社勤めを40~50年続けて、ようやく一息つけた頃に好きなことをやる…。
その頃には存分な力を発揮出来るのか?
私には自信がない。
それと、意図しない笑いを要求されるのも非常に困るものである。私はそれに酷く疲れきっている。何故なら、幼少期から散々強要されてきたことだからだ。
親の前ですら気楽に出来ないというのは、こういうところで影響が出てしまうということを、私は最近実感する。
もういいのだ。
全てが上手くいかなくなって首を括ることになろうとも、私は私で悔いのないように呼吸をし、生産をすることに決めた。
可哀想な奴だと思うだろうか?
社会性より与えられる喜びを知らない可哀想な奴だと。
だが、そういうものこそ、私には恐ろしいのだ。