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失うもののほうが、多くなった ー札幌日記7ー

HOKKAIDO PHOTO FESTA で展示することをSNSで見つけて、長野県の両親が札幌に見にくると連絡があった。
「わざわざくることはないのに」と返したけど、「それを口実に札幌観光をしたい」ということだった。それがどの程度本音なのかわからないけれども、そう言われてはご自由にどうぞとしかいえない。

いいおじさんの年齢になって、両親が自分の展示を見にくるのはなかなか恥ずかしい。「作品」などといって皆様の前で見せているものが、両親の前では急に小学校の図工や美術で作ったものを見せているような気がしてならなてく、気恥ずかしいと言ったらありゃしない。そう思ってしまうのもものすごく日本人的で嫌なのだけれど、実際そう思ってしまうから仕方ない。

モエレ沼公園に虹が出た

わざわざこんなとこまで…と思いながらふと考えてみれば、今までの大きな写真展はほとんど見にきたのではないかという驚愕の事実を発見してしまう。。しかも、「SNSで見つけて」と書いたように、いつも直接両親に「〜で展示やるよ」などど伝えていない。東京で3度、東京は近いけど、奈良と京都の時も確か見にきていた。ありがたいといえば、確かにそうだけれども、全て見透かされている気がしてやはり恥ずかしい。
私は今でも社会性がないし、せっかく入った大手企業も勝手に辞めてしまうし、この歳になってちゃんと親孝行もできていないし、という極めて常識的にみれば出来の悪い息子だと思う。心配ゆえに、ちゃんとやっているのか見にきているのではないかと思ってしまう。

普段、全く親孝行できていないので、札幌観光をできるだけ付き合うことにした。展示と、サッポロビール園でのジンギスカン、時計台、藻岩山の山裾からの札幌の夜景。翌日は小樽で運河クルーズ。別に自分が一緒に行くよりも、ふたりだけの方がよかったかもしれないけれど…

札幌から小樽に向かう電車から

今は写真作家のはしくれくらいにはなれた気がしているけど、そのきっかけを作ったのは父親だ。若い頃写真を趣味としていた父が使っていたMINOLTAのカメラとレンズを、私が20代の時に実家で見つけた(若い方はMINOLTAというカメラメーカーがあったことをご存知だろうか…)。それをもらったのがきっかけで私は写真を始めた。あのカメラがなかったら、人生大きく変わっていたかもしれない。

札幌の滞在記用の写真撮影にはFUJIFILMのデジタルカメラに、マウントアダプターをつけてその父親からもらった古いMINOLTAのレンズを使っていた。

「あ、このレンズ、父さんからもらったものだよ」と、ちょうど使っていたので、父に伝える。すると、「ああ、そうなの、覚えてないや…」。気のない返事が返ってくる。

父はもうもう70後半の年齢。たまに会うたびに体や目の強さが変わっている気がする。記憶も、なくなってきているのだろうか。

空港に着陸する飛行機

私は写真家としてのスタートが遅かったので、まだまだもっとやらなければならず、20代の時のような頑張りをしている最中だけれども、年齢はもう平均寿命の半分をとっくに過ぎて、体も精神もなかなか大変になってきた。最近は、失うものの方が得るものよりもだんだん増えてきていることを感じていた。何かを得る、成長することは、本当に人生の中で楽しいことで、生きるモチベーションのようなものだった。それが失うものの方に負けてきている。今まで得たもの、当たり前にあったもの、だんだんと失ってきている。

写真作家の仲間の中では、自分の父や母の喪失を題材に作品を作った人も多い。できれば私はそんな大きな喪失を経験したくないけれども、自然といつかやってくる、それも遠くないのが、順当だ。

ゴッホの絵に出てくる糸杉のような木があった

何かを昇華したい、どうにもならない思いから救われたいーーそれが写真をやっている理由のひとつ。一生懸命やってるけど、写真なんて無力だな。いつもそう思うし、それは真実に近い気はする。

(了)

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