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経験を教材にして、自分のバージョンアップを。

今までは、わりと、というよりもだいぶん引きこもりチックな感じで生きてきたように感じます。内面を感じることが好きで、人と渡り合うことが苦手だったり。

でもそれも人生の季節でいうと必要な時期だったと思うし、その中で学べた多くのこともあった。世間的にいえば今は自粛ムードな時期。人や会社、イベントも「自粛」「リモートワーク」「自宅警備」が多いと思うけど、個人的にはようやくさなぎが羽化するかのような時期を、迎えたわけだ。(世間と自分のムードのギャップはすごい)


それに、以前は病気というのを言い訳としつつ、あまり挑戦してこなかった。実際に刺激に敏感になって、おおきな音やネガティブなものにつよい反応が出ることもあった。そして、それはいけないこと、直すべきこと、汚点であると解釈をしていた。なのだけど、、

そうはいいつつも、じっさいは、時代も人生も動いている、いろいろなことが色あせ、また輝くことをくり返しながら、自分も年齢を重ねているわけで、いやはや、時は残酷なりである。


そんなことがありながら今日思ったことがあった。

それは、「人生いろいろあってよいではないか」という気づきであった。病気になっても、一見すると恵まれていないようなことでも、生い立ちや諸々のストレスや、何やカニや、もちろんいいこともだけど、、

いろいろなレッスンがあることで演技が磨かれるように、さまざまな体験を経て人として成長できる。今までが順調でなかったからこその学びや成長があり。これからもうまくいかないことがあっても、それも人生の肥やしになるのかな、と思った、り✨



それはニュアンスでいうと、あきらめというより、自分の人生を肯定できた瞬間でした。これまでもそれでいいし、これからいろいろ起こってくる問題もあっていい。そのことから、「学びを得られる自分」になれたような気がしました。

そして、「無駄なことはない」のかなと思いました。すべてが何を知らせてくれる、メッセージのような、宇宙からのささやきのような。そのように、つねにバランスが取れるように、教えられているような気分にさえなりました。



人生のよい悪いは、そう簡単にはわかりませんし、それはもしかするとないのかもしれません。よいも悪いも状況次第で変わりますし、捉え方でも違います。これから積み重ねる体験でも意味合いには変化があると思います。

なので、よいとかわるいとか、の判断は保留にして、その都度できることを積み上げたり、増やしたりしながら自分のOSのレベルアップをしていけるといいのかな、と思いました。


毎日成長です、成人を超えても成長していける日々は、ありがたみ、です。体験を人生の先生ですね^^、そんなことをおもいます。 



そんなわけで、きょうもコロナに負けるな✨、

すてきな一日を。

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