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中島晴矢への返答 〝渋家とオレ〟

中島晴矢の文章を読んで叫びが生まれたので書いてみる
もっと一緒に暮らしたいし、もっとおしゃべりがしたいのだ
当たり前のように金を稼ぎ、当たり前のような幸せを享受することに飽いてしまったのだ
テレビやラジオやSNSじゃ得られない本当のリアルがそこにあって
街に出ればコミュニティは「会社」か「宗教」しかなくて、おれはそんなものに興味はなくて
魂がヒリヒリするようなあの空間に身を置いている1秒1秒こそが「生きている」ということであり
それ以外は死んでいる。死んでいる。死んでいる。
確実に寿命を縮めるような〝あの生活〟こそが私たちを私たらしめる要素だったのだ
けむい 目の前がやや見えない 偶然と必然から生まれるうす白い煙が家全体を多い、今日も明日も何が起こるかわからないあの現象 日常の火災だ その霞を食って俺たちは生きていた。

3rdハウスに引っ越してまもない頃。としくにと齋藤恵汰が話していることが記憶に残っている。話題は「ノスタルジック」である。「過去を思い出してノスタルジーな気持ちにならない?」という、としくにの問いに対して僕は「そうか?」とぶっきらぼうに答えたのを覚えている。あのときの彼らの気持ちに私はなれているだろうか。やはり全然わからないのだろうか。もしもあの時に戻れるなら「それ、どういう感情?おれも分かりたい」と正直に言えただろうか。中島晴矢や齋藤恵汰と違い「死んだ高校時代」を過ごしていた者としては渋家と出会った19歳から31歳の今に至るまで人生が輝いている。だから全ての日々が今のように思い出せるし、接続が切れてもいない。さながら既に滅びたことを知らない城を守っているロボットのようだと言われても構わない。俺はジブリじゃなくて、ディズニーの世界観で生きている。

もちろん変化は感じている。みなそれぞれコミュニティの捉え方がわからくなっている。ライフステージとかいうクソみてーな単語でしか表現できないものによって、もともとバラバラだった私たちはまたバラバラになってしまった。ハードウェアである家を新世代に譲り、肥大化した自意識は加齢とともにやや落ち着き、あたかも俺たちは卒業したかのような機運を見せた。戻る場所なんてないのにゾンビのように渋谷を彷徨う元メンバーたち。まるであの日の議論がなかったかのように子育てに専念する友達。みんな調子はどうだい。何が起こるかわからない人生をライドできているかい? 俺はまだここにいるよ。忘れないで欲しい。俺はまだここにいるよ。忘れないで欲しい。いつかみんなが戻ってきてもいいように俺は元気でいるよ。

次の革命が起こる。楽しいことかもしれないし、嫌なことかもしれない。「インターネットが地球上に生まれた」というような衝撃が時期的に到来する。それは膨れ上がって洪水のように我々の前に姿を表すだろう。波に乗り遅れた人たちよ。堀江やひろゆきや、奈良美智や落合陽一になれなかった者たちよ。次は絶対乗り過ごさないようにしような。船はとしくにが作ってる。誰にも言われてないのに作ってる。1400万も借金して作ってる。おれは最高のメンバー揃えてる。海外にもアンテナ張ってる。合法だか非合法だかわからんところでこの波乗りを成功させよう。あるいは楽しい失敗で笑おう。

10年前に菅井と太田がアメリカに言ってギャラリーの天井の高さに口が開いたように、俺たちは生きているか。オンラインでできる仕事をして、夜は妻と酒を飲んでインスタライブ。次に花開く時、なにもかもを完璧にして美しいアーキテクチャーとともに飲もう。その時はお互いがお互いを観測しようぜ。これは星なんだ。砂漠に着地したって楽しめるよ。

なぁ、中島晴矢。

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