月の涙

夏至の夜、月が綺麗だった。
ただそれだけのことなのだが、こんがりと脳裏に焼きつく月の妖しい輝きは、今から思えばこの世から一つの魂が失われたことを示唆しているように思えてならない。

実際の知らせは、姉から日曜日の朝に届いた。5月末に母から「覚悟をしておいてね」と言われてから、おおよそ1ヶ月後のことであった。
おばあちゃんは、とても綺麗好きで几帳面。裏を返せば、心配性で少し頑固なところがあった。早くに旦那さんを亡くし、80代後半で施設に入るまで一人暮らしが長かった。最後の数年は、施設の人たちとの触れ合いや会話が、おばあちゃんを支えてくれていたのだと思う。

通夜と葬式は、家族だけで行われた。質素な数の上品なお花に囲まれ、祭壇の真ん中でおばあちゃんが微笑んでいる。わたしはその微笑みに手を合わせながら、生きることを諦めなかった祖母の強さと、ひた隠しにしていた深い孤独に思いを馳せた。

末っ子であるわたしの幼少期を見守ってくれた家族の中でも、一際かわいがってくれたのは祖父母だと思う。共働きであった両親が仕事に行くと、幼児期のわたしは祖父母の家に預けられることが多かった。今回亡くなった母方のおばあちゃんは、実家から車で20分の場所に住んでおり、頻繁ではないにせよ月に1回は家を訪ねた。学校に通うようになってからも、長期休みにはいとこたちと共におばあちゃんの家で遊んだり、すき焼きを食べながら年越しをしたりした。数えきれないほど思い出されるたくさんの楽しい思い出の一方で、わたしの心にはある大きな疑問があった。そして、「バイバイ」という言葉を発するたび、その疑問は大きく膨らんだ。

なぜ、わたしは「バイバイ」をしても家族と一緒にいられるのに、おばあちゃんはひとりぼっちにならなくてはいけないのだろう。

そんな疑問だった。

お父さんが運転する車に乗り込む前に、おばあちゃんは必ずお小遣いをわたしの手に握らせてから見送ってくれた。お金をもらえた嬉しさ半分、おばあちゃんの好きなものを買ってほしいのにな、とも思っていた。
お札に染みた優しさと愛情を受け取ると、余計に「バイバイ」の言葉を発することが辛くなった。車の後部座席の窓を全開にして、角を曲がっておばあちゃんが見えなくなるまで手を振った。あのとき、おばあちゃんはどんな表情をしていたのだろう。
窓を閉めて「今日の晩御飯はなに?」とお母さんに聞いている間、おばあちゃんは1人には大きすぎる家の中に入り、わたしが食べたあとのお皿を片付けていたのかもしれない。言葉に出したら、涙になって溢れそうな孤独を感じていたかもしれない。月の光が眩しく感じる夜があったかもしれない。

でも、わたしは家族と一緒にいることができる。みんなでご飯が食べられる。月が綺麗だね、と光を分かち合うことができる。
そんな矛盾が、いつも疑問だった。なんだか、悪いことをしているような気になった。
「バイバイ」の言葉を罪深く思いながら、あっという間に大人になったわたしは、一年前の夏、施設でおばあちゃんに「バイバイ」と声をかけた。まさか、それが本当に最後の「バイバイ」になるとは思ってもみなかった。
もっと会いにいけばよかった、と思う。でも、変わり果ててゆくおばあちゃんの姿を受け入れられない自分もいた。骨の上をかろうじて覆っている柔らかな皮膚を、袋に垂れ流される尿を、点滴で補給した水分を血管が受け止めきれずに浮腫んだ手足を、わたしはきちんと見るべきだったのかもしれない。わたしは「バイバイ」を言うことが怖くて会いに行けなかった。

棺の中のおばあちゃんは、にこやかな表情をしていた。母によると、納棺師さんが綺麗にしてくれる前は、目や口が半分空いていたのだと言う。いろいろな管に繋がれながら、口を大きく開けて懸命に呼吸していたおばあちゃんのことを思うと、涙が止まらなかった。

真珠は「月の涙」と言われ、悲しみを表現するものだと聞いたことがある。母は、おばあちゃんからもらったという本真珠のネックレスをつけていた。本物志向のおばあちゃんらしく、何十年経っても廃れない真珠の輝きが、母の首元を癒していた。
月の涙か、と思う。亡くなる2日前の夏至の夜、わたしが見たのは月の涙だったのかもしれない。おばあちゃんからの知らせはとても美しく、本物の輝きを纏っていた。

火葬場に行くバスの中で、空を見上げると太陽の周りが虹のように煌めいていた。その隣で甥は、龍と鳥が戦っているような雲を見たのだと言う。
周りのあらゆる世界が、おばあちゃんの声に、表情に思えた。

ありがとう、おばあちゃん。95年間、お疲れ様でした。
また綺麗な月になって会いにきてね。

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