足らずの日々

「太陽は取らないの?」
と聞かれ、とても怖くなった。

「取れるの?」という可能性の問題ではなく、太陽を取ることができるという前提のもとで問われている「取らないの?」という言葉に困惑する。とりあえず、「まだ取らないね。」と答えておいた。教室掲示を一通り眺めてから子は納得したようだったが、後から考えればあれは図工で描いた太陽の絵のことを指していたのだ。

このような、子の言葉足らずに振り回されることはしばしばある。たとえば、子に急に渡されたなぞなぞの紙は要注意である。今日の昼、爪楊枝ほどの縦幅と米粒5つ分くらいの横はばの細長い紙を女の子から急に手渡された。表には、例の如く「なぞなぞ」の文字。開くとこう書いてある。

「せんせい、せんろ、てけてけ」

キーワードだけのなぞなぞとは一番難しそうだ。なぞなぞという言葉から問い直さなければいけない。見かねた子が口を開いた。

「てけてけは、足のないおばけのこと。わたし、せんろでてけてけ見たんだよ。ママには見えなかったけど、わたしには見えたの。」

なぞなぞの答えが怖すぎてくしゃみが出た。
せんせい、と始まっているのは、わたしが線路でてけてけになってしまうということだろうか…。念のため子に確認すると、
「あ、“せんせい“は、ただ書いたの。せんせいにあげるから。」
安心したらくしゃみが出た。

みんな、足りない言葉を補い合う日々を送っているのだ、と思う。
太陽を取るか取らないかに対して、「“まだ“取らないね。」と言ってしまったが、いつか取る日が来るのかもしれないと子は思っただろうか。掲示ではなく、空を見て。そういう、「もしかして」を片隅で抱えて生きるのもまたいい。

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