おすし、2019年を振り返る
今年の春、私は新社会人になった。
しかし、夏の終わりが近づく頃には辞めていた。たった4ヶ月の会社員生活。私がこんな短い期間で会社を辞めてしまうなんて親も友人も学生時代の先生も驚いただろう。
何よりも私自身がこんなあっさりと人生のレールから外れてしまうような人間だとは夢にも思わなかった。
イージーに思えたおすしの人生
私は家族にはとても可愛がられて育ってきたと思う。小学校に入学すると、勉強が得意だったので面談では先生から「成績もいいし特に言うこともありません」といわれるような子供だった。
中学校に入ると数学が苦手だったが他の4教科は基本的にトップに近い成績を保っていた。面談では市内のトップ高校にいけるといわれ、言われるがままにその高校を目指して合格した。
高校では入学直後から大学受験を意識しろといわれ、3年間ずっと国公立が絶対と聞かされていた。結局私は中学の頃から苦手だった数学が大学受験まで足を引っ張って、第1志望校にも第2志望校にも行けず。滑り止めで受けていた私立大学に進学することに決めた。人生初のアルバイトもいい職場で仕事が合っていたので3年間ずっと同じところで働いていた。就職活動も順調に進み、少し早めに第一志望の会社で内定を頂くことができた。
ざっくりと幼少期から振り返ってみたが割と順調に生きてきた方だと思う。だから今年退職する直前まで、これからは仕事も順調に進んでキャリアを積んでいく人生なんだろうとなんとなく思っていた。
でも仕事を辞めざるをえない状況になった。そして人生で初めて引かれていたレールを途中下車した。今まで割と人生イージーって思っていた人間なのでかなりショックだった。(おかげで10年ぶりに熱が出た。)
そして2か月ほどは働かずにとにかく休養時間に充てた。この2か月間ほど自分について考えたことはないし、人生設計について考えたことはないと思う。そんな2か月間で少しずつ変わった自分の価値観や考え方をまとめてみる。
忍耐ゲームは辞める
私自身、長所は粘り強く努力するところだと思っている。でもあまりにも無理をした結果、心身ともに疲れ切ってしまった。何にもできない、ただ寝てるだけの人間にまでなった。心が一回死んだ。だから物事に一生懸命取り組む中で厳しい局面を耐えることはあるかもしれないけど、無理に続けてメンタルが死ぬと復帰に時間がかかるし、最悪の場合は戻れない。それに気づいてからは逃げ道を作っておいたりちょっとサボったりして、定期的にガス抜きをしている。耐える必要性を感じなくなったら辞めることにした。
自分が大事にしているものが分かった
「時間」の使い方を大事にしたいと思うようになった。私が会社員として働きながら特にストレスに感じたことが長時間の拘束だった。勉強や趣味の時間が大事な私にとって毎日の残業がかなり苦痛だった。週に1回、多い時は3,4回会社の人と飲みに行き、帰宅しても疲れて何もできないのがストレスだった。現在は非正規雇用なので残業もほとんどないし自分の好きな日数で出勤できるので、勉強と趣味にかける時間が増えたのでかなりストレスが減った。今はできるだけ時間の縛りを受けない働き方をしたいと考えるようになり、そんな働き方をできないか模索しているところである。
今まで持っていた固定概念を壊した
人生を安定して生きていくなら「いい大学に入学していい企業に就職してキャリアを積む」が模範解答だと思っていた。(他の働き方なんて才能が開花した人の特権だと思っていた)だからかなり追い詰められた状況でも退職する決断をするのに1週間かかった。今思うと、「会社で正社員として働く」以外の選択肢が見えていなかったんだと思う。休養しながら色々な人の生き方や働き方を本で読んだりSNSで見ているうちに「別に正社員にこだわらずに、自分の働きやすいスタイルを探したらいいんじゃないか」と思うようになった。ということで現在は働き方を模索するため、周りの人のワークスタイルや暮らし方にめっちゃ興味がある。
3つに分けて書いたがまとめると「自分の生きたいように生きたい」っていうことが根本にある。(全部が上手くいくわけないのは重々分かってる)会社はしんどかったし辞めるのもしんどかったけど改めて自分ことを顧みるきっかけにできたので無駄ではないと思っている。これも後々ネタにできるような結果を出せたら退職経験もプラスになるかも。
初めてのnoteは今年のおすしに起こった出来事を振り返りながら最近の頭の中を書いてみました。こんな感じでnoteには오스시의 일기장(おすしの日記帳)には書かない私の考え方や気づきを残していこうと思います。
おすし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?