西と東と言語学と私

この記事は、まつーらとしお氏の主催する、アドベントカレンダー「言語学な人々」 の補遺として 黒木邦彦氏が主催している、別館(言語学なるひとびと) の2023年12月22日のエントリーとして書いたものである。

方言の話が多いようなので、自分自身は方言学者ではないが、自分の使う関西弁と、そしてその関西弁をとおして見た東京弁、の話をしようかなと思った。書いているうちに、言語学の入り口に立ったばかりの頃のことをたくさん思い出した。

自分は関西方言話者で、幼少期から大学卒業までは、奈良市西部の新興(当時)住宅地に住んでいた。付近にもっと昔から住んでいる人達の奈良弁といえば、年配の学校の先生から聞くくらいで、あとはほぼ、大阪からマイホームを建てに移住した人が大半だったように思う。母方も昔から大阪で、お祖母ちゃん子(母の母)だった私の言葉はおそらく祖母の影響が一番大きいだろう。彼女は若い頃船場の商家で奉公をしていたらしいので、自分の言葉の源泉もなにわ系なのだろうが、高校からは京都方面の友人が増え、このあたりから大阪なのか京都なのか微妙な言葉を話しているように思う。

自分の育った環境では学校教育もほぼ一貫して関西弁だったので、共通語と地元語の二本立てを目指すべき、という意識が、成人を迎えてもまだ希薄だった。大学卒業前後、東京にたまに来るようになった当初も、さすがに丸出し関西弁を使って「関西人で〜っす」と西の人間アピールするヤツにはなりたくないなと思いつつ、かといって何が何でも言葉を直さなきゃ、というプレッシャーも感じていなかった… のだが、カジュアルで便利な尊敬語の「〜はる」は、東では尊敬語として全く伝わっていないことを知って驚愕したのをきっかけに、東京風にも話せなきゃ!と思ったのが20代前半。留学して言語学を始める前のことで、音韻論未履修、単語アクセントの知識もゼロだったのに、いやむしろ、「だからこそ」かもしれないが、「この語は東京ではこう発音する」とう知識をはてさてどうやって身につけるつもりだったのかはわからない。新宿で完璧な東京風発音で道を聞けたよ、こんなかんじで→「丸ノ内線どこですか?」って(最初の「ま」を少し下げると東京っぽいことに気づいた模様)、って友人に再現報告したら「質問内容がすでにダメ」と言われたこともあったっけ。

さてその後、米国は東海岸ニューヨーク市立大学に留学して最初の学期。アメリカの言語学の授業ではたいてい、各々自分がよく知る言語を分析してみては、とすすめられる。自分は音韻論を初めて学んだクラスの課題で、日本語関西方言のアクセントについて考えることにした。

関西弁で、1モーラ名詞(絵、蚊、胃、木など)が長くなって2モーラで「ええ、かあ、いい、きい」と発音されることはよく知られている。この際、長くなった語にも独自の抑揚パターンがある。1モーラの語にも語アクセントの指定はあるので、名詞単独だと表面化しない区別も、もう1モーラあれば現れてくるのだ、ということは言語学をやっている人はご存じだろうが、ここはひとつ、言語学を知らない頃に戻ったつもりで回想につきあっていただきたい。このときの私には、音韻論の知識はまだ殆ど培われていなかった。

さて、これらの長音化した語をリストアップしつつ当時の私は考えた。もともと2モーラの名詞にある抑揚パターンは、それら長音化した名詞にも網羅的に存在することが確認できそうだったが(絵が(ええがLLH)、蚊が(かあがHHH)、胃が(いいがHLL)、など)、なぜか「○○が(LHL)」というパターンだけが、長音化した語にだけ存在しないようだぞ?(初心者に戻ってくれたみなさんへ。名詞のアクセントの話をするのに軒並み助詞の「が」をつけいてる理由は、語の最後にアクセント核がある語なのか、平板語なのか、もう1モーラくっついてくれないと区別しにくいからである。)

この「○○が(LHL)」という尾高パターン、もともと2モーラの語にはあるのに(例:秋が(あきがLHL))、長音化した1モーラ語には欠番している。この事実は、その時の私にはすごい発見だと思えたのだ。今から考えたらいろんな理由で「そらそうでしょ」というべき案件なのだろう。語特有のアクセント情報は長音化する前から決まっているので、長音化した結果発生する2モーラ目にアクセント核が置かれることはない。だが答えがとっくに存在することを知らなかった私にとっては、うお〜言語学ってホンマ楽しいな!と思えた最初の体験だったかもしれない。

で、その調べ物の過程で、Autosegmental Theory で日本語の様々な方言のアクセントを分析したShosuke Haraguchiの博士論文を知り、ひょえ〜、アクセントってこうやって説明できるのか!東京方言と関西方言の表面的な違いはこういうところから出てきているのか!やっぱすごいな言語学!と心から思った。そういえばその時、畏れ多くも(その時点でお会いしたこともない)原口先生じきじきに原稿をいただいたのであった。後日、原口先生にお礼とともに、あれだけの多くの方言のデータを集められるとは、と驚愕の意をお伝えしたら、「まあ、それは、集めに出向きさえあればデータはちゃんと得られるからね(そこまで驚くことではない)」という趣旨のことをニコニコしながら仰っていたことを今でも思い出す。

ニューヨーク留学中は、日本語の非常勤教員もやらせてもらったので、それもいわゆる標準語をちゃんと話せないといけないと改めて思うきっかけになった。とはいえ、必要なのは要するに「東京方言で話すぞ」という心がけだけの問題で、かんじんの「この語は東京ではこう発音するというのは推測可能なはず」、と自分はまだ思っていたようだ。辞書を見ながら覚えるまでのものでもないだろうと。そのときも、意識されるような根拠などなかったが。

しかしやがて、どうしても受け入れられない語がひとつでてきた。それは、動詞の、「蹴る(HL)」。関西弁で「HH」と発音される「蹴る」は、私の頭のなかの東京方言ではどうしても「LH」になってくれないとおかしいのだった。東京のみなさん、この動詞のときだけ訛ってないか?NHKのアナウンサーまでなんなんだよ!って、ネイティブでもないオマエこそネイティブに向かってなんなんだよ、って感じだが、のちに金田一類別語彙表というものがあり関西でHHで発音される2モーラの動詞の多くが属する群は、東京アクセントでは平板(やっぱりLHでよし)に対応するという関係が確立していることを知った。「蹴る」はなんやかんやで、本当に多数派パターンから外れた存在だったのか。

自分の違和感には確かに根拠があったことも驚きだが、自分の意識が理解していないことを自分の頭が知っていることの不思議をこのときしみじみ実感した。しかし、言語習得過程にあるいたいけな子供が過剰一般化を迅速華麗に修正するのに対して、厚かましいこのオバハンは、今でも東京で「蹴る」と聞く度に、あんたの東京弁の発音おかしいやろ!と脳内で吠えている。誰か「オマエじゃ!」って突っ込んだって。

上述したように、関西方言と東京方言のアクセントの対応に一貫した決まりがあることについてはこちらの動画がとてもわかりやすく参考になる。木部先生素敵…

「方言学概説―方言アクセントの多様性―」(木部暢子)/言語学レクチャーシリーズ(試験版)Vol.5

https://www.youtube.com/watch?v=Etf0qyaAfdI

下の図に、上記動画の中でも紹介されている、2モーラ語における現代の東京方言と関西方言アクセントの対応関係を示す。こんなに明確に対応関係が決まっていたのか、と初めて知ったときは驚いた。

詳しくは割愛するが、もっと抽象化すると上記の変化は、歴史的な変化としてアクセント核の位置がひとつずれた、という一般化が可能だと分析されている。歴史的な変化全体の方向性としては、より複雑な体系をもつ関西方言のアクセントが変化した結果の東京方言のアクセントは、体系としてはより簡単になっている。となると、関西方言→東京方言への変換は比較的容易に学習可能かもしれない。「東京弁でどういう発音になるか、だいたいわかるやろ」とテキトーなことを言っていた私の頭の中で起こっていたことは、確かにテキトーではなかったのだが、超困難なことでもなかったのだ。

しかし逆の方向の推測は難しいだろうなあ…一部の違いについては、いったん区別が失われた側である東京方言の話者が、区別を持つ側の関西方言としての発音についていったいどんな推測をするか、何らかの予測は立つだろうか。

折しも現在、「関西方言のアクセントの変化が、言語理解における予測処理を促すだろうか?」というプロジェクトを現・シンガポール国立大学の伊藤愛音さんらとすすめている。その計画内容自体はこちらの動画(関西方言の実験は7分過ぎから)をぜひご覧いただけると幸いである。(追記:すみません、進行中の実験が終わる予定の1月中旬ごろまでいったん公開を中断します)

予測するヒト - アクセント変化を手がかりに-  東京方言の場合・関西方言の場合 紹介動画 (一時的に非公開でしたが、関連実験完了につき2024年2月11日再公開)

https://www.youtube.com/watch?v=SC1HkAasSUQ

(収録するときは、前半の東京方言の話をするところまでは東京方言で喋ろうと決めていたのに、相方につられて(?)ものの1秒で崩壊している。)

(すごくちゃちゃっと内容について言うと、東京方言では、その語をどういう高低で発音するのかは、アクセント核の有無、そして有の場合はその位置がどこか、という区別で決まるが、関西方言ではそれに加えて、語全体が高いタイプか低いタイプか(高起式vs.低起式)という区別を持つ。なので平板語といっても、その中で高起平板か低起平板かの違いが生じること(きいろHHH vs ちゃいろLLH)、さらに低起平板語では後続する語が高起か低起かによって、実現されるトーンが異なる(ちゃいろのきつねLLLH LLH vs. ちゃいろのきりん LLLL HHH)ことを利用した実験である。)2020年秋の言語学会および『プロソディー研究の新展開』(窪薗晴夫・守本真帆 編、大修館)では反応時間計測実験の結果を紹介しているが現在は視線計測実験に取り組んでいる。)

この実験では、関西方言特有の知識を、関西方言話者のみが情報としてリアルタイムの言語理解の場で使える可能性があるという前提で、関西方言話者グループとの比較のため、統制群に東京方言話者グループも設けた。しかし、東京方言話者は果たして純粋に関西方言の知識が全くないと考えてよいのか疑問の余地が生まれたため、番外編として、東京方言話者ざっと45名に、実験に用いた単語を含む150語ほどの名詞を、「関西方言だったらこう発音するだろうと思う読み方」で読み上げてもらうことにした。その結果、大方の語について「えっ、関西方言ってこういう風に聞こえてるの!?うそやん!」「なんでやねん!」「絶対ちゃうわ!」というケースが大半だった。

この読み上げ調査の目的は、東京方言話者がメディアなどを通して関西方言の正しい発音を知っていたというわけではない、ということを確認することだけだったので、「やっぱり知らないのが大半」と解ったらそれでよかった。なので当初はその間違いパターンまでは詳細に見ていなかったのだが、好奇心で回答内容別に集計してみたところ、「むちゃくちゃでたらめやん〜」としか思えなかった彼らのなんちゃって関西弁も、わりと先ほどの、類別語彙表に基づいた両方言の対応パターンに沿っているように思えるので、引き続き精査をすすめ、いつか皆さんに聞いていただきたいと思っている。面白い結果になると思う…知らんけど。

最後に前半のエピソードに戻るが、「このアクセントパターンだけが、長音化された1モーラ語にはない!」「東京話者による、蹴る、の東京アクセントはおかしい!」というかつての私の疑問や違和感は、自分自身の話す関西方言や、それとの東京方言との違いに関心を持つにつれて自分で培ったもの。しかしそれは大発見ではなく、言語学の先達の研究ですでに答えがわかっていることだった。これがもし、自分が仕事として行っている研究のうえでのことなら、「そんなのとっくに説明されてるわ」はただのバッドニュース。

だけど、言語学の入り口に立ったときのことを思い出せば、そのときはその疑問自体にどんなにワクワクしたことか。さらに、それに続く「これにはちゃんと答えがあったんだ!」は全くバッドニュースなんかではなかった。それは純粋に「やっぱり言語学ってすごい!」だったのだ。しかもなんなら自分の疑問がまっとうなものだったという証でもある。

自分など今でも素直に「言語学ってすごい!」とうなってばかりなのだが…そうか、私もしかして言語学の入り口からまだ動いてないのじゃなかろうか。(あかんがな)


追記:なお、一連の関西方言実験で本当に苦労しているのが、関西方言話者の間のアクセントのバリエーションがあまりに多様なことである。何しろ、相方の伊藤愛音さん(姫路出身)と私の間でも、実験条件の設定をお互い逆にみていた、程度まで違うことすらある。自分自身も、冒頭に書いたように大阪なのか京都なのか混じっている程度で、当初はさすがにそれは大きな影響はないだろうと思っていたのだが甘かった。実験参加者の関西人の皆さんに、予備調査として実験に登場する名詞を改めて読み上げてもらった結果、特定の名詞の発音については自分がまさかの超少数派だったと気づかされることもしばしば。一方、低起と高起の区別がないのでこの人は東京方言話者グループに入ってもらったほうがいいのでは?というケースも少なくない(やはり若い方に多い)。実験条件として設定した通りのアクセント情報が参加者に共有されていることが大前提なので、かなり微細なレベルでのデータスクリーニングが必要となり、参加者一人一人について、実験に登場するすべての語句のアクセントをチェックするという、前代未聞の苦労が続いている。まだまだ気張るで!

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