
スリルとハラハラ,ドキドキの中学校勤務時代 4 (家出?生徒との関係・部活動)
ある時はふたクラスにまたがった2人の友達が家出をしてしまったと連絡は入り,平日は空いている時間に,土日にかけても一日中2人の担任で探し回ったのですが、見つからず。 灯台下暗しとよく言ったものですが、一人の子の家の隣にある納屋に2人とも(菓子やらゲームやら持ち込んで)半分寝ていたのです。
随分人騒がせな子たちですが,中学生ぐらいの頃の行動は全く予測がつかないものでした。こんな感じで私の中学校での勤務は始まったのです。
今はどうか分かりませんが。 当時はどこの学校でもたいてい生徒とのコミュニケーション取るために生活ノートという交換日記を提出させていました。
返事だんだんおろそかになるのと呼応して,提出数が減っていきました。
それで隣に座っている四つ上の先輩の真似をして可愛らしいキャラの付いた付箋を買ってきて,その付箋で返事を書いて貼るようにしました。
中学校ではたくさんのことを学んだような気がします。 配るプリントやテストでは一番上は 印刷が手でかすれて汚れやすいのでもらう子が不憫なので,新しい紙を一枚必ず乗せるのだとか,折り折に,生徒たちの机を新しい布(実際は雑巾)で拭いてやるとか,机の脚にカバーをつけるとかしました。
そういう細かい気配りは,あえて声に出してアピールするのがコツと教わりましたね。(笑)子どもというのは,気づかないことを気づいて成長するものだということなので。
特に女子生徒との関係について,デリケートな年頃なのでストレートで言ってもプイと横を横を向かれることもたくさんありましたね。よく相手を見てやんわりじんわりと話をしたほうが良いということも学びました。
やはり私はいちばん年齢が近かったせいか、極端に嫌われたような子もいましたし、極端に好かれたような子もいました。 しかし、裏返せば両方とも私に関心がある事には間違いなかったのです。 それは中学校離れてから気が付いたことなんですよね。
部活動は小学校勤務に引き続いて、男子のサッカー部の顧問になりました。 野球部と並んで平成の初めはサッカーのブームの始まりの時期だったのでとても人気がありました。
しかもメンバーはほかの部活動よりも,ごっついというのか、性格が荒いというのか,運動神経に自信があるというのか,とても元気の良い生徒が集まっていました。 そういった生徒をまとめるのは大変苦労しました。
私が赴任した時の二年生,三年生の生徒が実質先輩なのですし,もう一人、年配の顧問の先生がいて助かりましたが、三年生の主任をしていたので、ほとんど外には出てこなかったですね。 顧問は外へ出ると、生徒は練習をいったん止めて全員気をつけをしてキャプテンの号令の下,挨拶をするというところが中学生らしいところでした。
前にも言ったように、現役の時よりも監督の方が才能があったみたいで、私は三十万人都市の中学校の中での成績は四年間(八回の大会のうち)で、準優勝が2回という成績を残しました。