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世にも不思議な教員の世界 3 (私の不遇と不運といじめ ①)
さらに最悪だったことが二つあります。 6月に名鉄石仏駅から帰宅時に車庫から出てバックした車にぶつかり。 三メートルぐらい跳ね飛ばされました。
自転車のハンドルで胸を強打し(生まれて初めて)気を失ってなって,救急車を呼んでもらう寸前でしたが,なんとか。 正気を取り戻して帰宅しました。
四十年前は警察に相談しても,止まっていた車にぶつかったのなら、あんたが悪い。俺だったら車の修理代を請求すると言われて取り合ってもくれませんでした。 確かにぶつかった時は止まっていたかもしれません。しかし車庫から出てきたことは事実です。
季節的には水泳部の指導でしたが,これで部活動の指導もできなくなり,通院のため早く帰ることになり余計に,(校長に事情を話しましたが無関心で)少し上の年代の先生方から好き放題放題の悪口を言われました。
夏に行った初めての職員旅行では,5-6人の年代の近い先輩が私を取り囲んで,「なんであんたはそんなに仕事をせんのだ?部活動をやらんのだと言われました。」
私はこれまでのことをを言おうとしましたが,矢継ぎ早に責められ。長野県の高原のホテルからタクシーで最寄りの駅まで行き,家に戻ろうかと思ったくらいです。眠れず、涙がずっと流れていました。
とにかく 当時から「教師」という職にある者は「お説教とご指導」がお好きなようです。よく言えば「おせっかい~世話やき好き~面倒見がよい」となってくのでしょうが,「放っとけ」と思うこともありした。