【エッセイ】命はそうやって繋がっていく
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先週末は最も敬愛する山の先輩と歩いた。
ボクより20歳上だから74歳、癌のステージ4。
永年の山歩きのためか、膝を悪くして手術をして以来、二本のストックを手放せなくなったけど、土曜日には藪漕ぎを含めて8km、日曜日は古道で16kmを歩いた。
「膝より抗がん剤の副作用が酷い」らしく、手や足の先の皮膚が割れて痛い上に、足の裏に広がる湿疹にも悩まされているという。
それでも気の合う夫婦と4人での晩秋の古道歩きでは、キノコの名前や植物の名前を教えながら歩いてくれる。辛そうな顔は見せないし、泣き言も言わない。
抗がん剤は先生に相談しながら抑え気味にしてもらっているという。
最初、処方された通りの量を飲んでいたら「怠くて山歩きどころではない」からだと困った顔をした。
先輩にとって、治るかどうか判らない癌を少しでも小さくするより、山を歩くことの方が大事なのだ。
医者もそれを理解してか、抗がん剤を減らしてくれた。そして今のところ癌は減ってきているという。
ボクは父を18年前に亡くしている。享年65歳、胃癌だった。
父は孤児院育ち。当時の日本で孤児院育ちは差別を受けることも多く、望む道には進めなかった。
少々、道を踏み外したこともあり、高度経済成長の波には乗れず、それでも結婚し、子供二人を育て、家を建てた。
側から見れば立派だと思うが、入院先に見舞いに来た古い付き合いの人に、
「俺の人生なんだったんだろうな」
そうこぼしたらしい。
趣味といえば酒を飲みながらするテレビでのスポーツ観戦で、仕事以外で自分からどこかに出かけることもなかった。
「俺は若い頃にさんざん遊んできたからもう良いんだよ」
そう言っていたけど、何か夢中になることを見つけられなかったのかもしれない。
それはあの世代の多くの人がそうかもしれないけど。
「定年したら庭に小屋でも立てて駄菓子屋をやろうかな」
子供好きな父はそう言っていたけど、それが叶うことはなかった。
父とはいえ、人生を他人が評価することはできないけど、「俺の人生なんだったんだろうな」という言葉は本音だと思うし、その言葉が今でもボクの心にしこりのように残っている。
そのしこりを解消するために、ボクは文章を書き出したのだと思う。
父が死んでから、ボクは「自分がやりたいことをやって死のう」と思った。
それはもちろん自分のためでもあるけど、残された者のためでもある。
妻や娘、もしかしたらその頃にはいるかもしれない孫が、ボクが多少若くして死んだとしても、
「じいさんは好きなことをして充分に生きたよね」
そう思ってもらえたら良い。
「命は自分だけのものではない」というセリフが映画やドラマでは時々出てくるけど、ボクは父が死んでからようやくその意味が腑に落ちた。
先輩の病状が良くなって、これから何年も一緒に山を歩けることを願う。
だけど、その時はいつ来るか分からない。
それまでボクは一緒に歩いて、先輩が得てきた知識を吸収していきたいと思う。
命はそうやって繋がっていく。
山を歩いた翌日、LINEで体調を聞くと、やはり副作用が酷くてしばらくはおとなしくしていると言っていた。しかし今日は青空が広がっている。
もしかしたら、どこか近くの山に登っているか、キノコ取りに歩いているかもしれない。