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「恋人たちの予感」一日の最後に

以前、ヨメさんがこんな事を言った。
「どうでも良い人と、どうでも良い話はしない」
なるほど、言い得ている。名言だなと思った。

色々とマニアックな映画や、人生の道標になるような映画にも出会ってきたけど、何か映画について話すとなると、ちょっと古い「恋人たちの予感」という恋愛映画かな。
全然マニアックじゃないけどね。

確か、ボクが19歳の頃の映画。だから、1989年かな。当時の彼女と観に行った。
ひたすら可愛いメグ・ライアンを眺めるだけで成立しちゃうような映画のテーマはこれ。
「男と女に友情は成立するか」
このテーマ、良く飲んでる席なんかでも話したりするよね。
ボクは成立しない派。
それについては本題じゃないのでまたの機会に。

何度か偶然の再会をしながら、友達となるハリーとサリー。
お互いに恋人がいない時、友達として一緒にクリスマスを過ごす。
その時に大きなモミの木を買って2人でそれを持ってニューヨークの街を歩くのが印象的だった。
なんかオシャレだなーって思ったよね。
だんだんと男と女としての気持ちが芽生えてきちゃって、これじゃまずいと、友情を維持するためにお互いの友達を紹介するも、その2人がくっついちゃったりして。
で、ある時、元恋人が結婚することになって泣いているサリーを慰めに駆けつけたハリー。
そのまま一線を越えてしまう。
こりゃマズイとなったふたり。
でも、ハリーが自分の正直な気持ちを貫くことに決めて、サリーに告白するわけですよね。
その時のセリフがたしかこんな感じ。

「一日の最後におしゃべりしたいのは君なんだ」

いやー、これはホントに名ゼリフ。
このセリフを聞いて以来、ボクは、
「この人は一日の最後に話をしたい人なのか」
と考えるようになってしまった。
これは、結婚を決めるのにも大きな指針となった。

話なんて何でも良い。
電車で足を踏まれてムカついたとか、
なんでワイドショーのMCって偉そうなんだろうねとか、
結局、一番高いけど、シャウエッセンが美味いんだよなーとか。
どうでも良い話をしたいと思えるのは、やっぱりどうでも良くない相手だから。
あまりにも日常的で忘れちゃうけど。

ひとり暮らしになって1ヶ月半くらいか。
今は身に染みる。
LINEでわざわざ連絡するほどのことじゃない。
もちろん、電話するまでもない。
ちょっと別のことをすると忘れちゃうくらいなこと。
そういう話ができる相手がいる日常。
それが幸せというのかもな。

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