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【創作大賞感想】球体の動物園/著者:半径100m

妻とは一、ニ度しか動物園に行ったことがない。妻が檻の中にいる動物が可哀想だからと言ったからだ。
確かに動物たちはどこかで捕獲されて檻の中に入れられている。今は動物園で生まれ育った動物の方が多いかもしれないけど、それでも彼らは走り回っていたはずの草原や森を知らない。

一話完結の掌編集。
ここに出てくる動物は、たぶんあなたか、あなたの隣にいる人に似ている。

『ゴリラVSイメージ』男二人に襲われそうになった私を助けてくれたのはゴリラだった。
『かばうらら』檻から出てきたかばを愛する私の一日。
『エミューの笑み』屋上から飛び降りようとしていたエミューに声をかけた俺は。
『たぬきおやじ』庭に出るたぬきは、ときどき亡くなった夫に化ける。
『いそげスローロリス』さっさと動けないスローロリスにも、できる仕事があった。 
ようこそ、球体の動物園へ。

あらすじ

リンクは一番好きだなと思ったエミューの話に。

この掌編集には動物たちが出てくる。
人間の生活の中に、動物のかたちそのままで、しかしみんな言葉を話し、その存在を疑問に思っている人もいない。
川上弘美の「神様」に出てくる熊もそんな感じだった。
だけどこの掌編集は、それよりもどこか、なぜか哀しい。
きっと「神様」に出てくる主人公より、ここに出てくるそれぞれの話の主人公の方が哀しみを抱えているからだ。
いや、違うな、「神様」の主人公には強さを感じたけど、ここに出てくる登場人物たちはそこまで強くない。
今の生活、状況の中で、満足でも不満でもないけど、それなりに生きていくしかない。そんな感じを受けた。

多分、多くの人がそうなんだと思う。
そこから脱出するために頑張ってみようと思う。でも挫折する。しばらく立ち止まって、ひとつ大きく深呼吸して立ち上がる。

そういう空気感。

それをただ表現しようとすると、おそらく哀しいだけなのだと思う。
でもこの掌編集には動物たちが出てくる。
彼らはみんな滑稽だ。
飛べないのではなく飛ばないのだと言うエミューも、水風呂に浸かるカバも、日本古来の化け方をする狸も、みんなどこか可笑しい。
そして可笑しさの裏には哀しさがある。

考えてみると、今の人間社会も動物園みたいなもので、誰もが檻の中で自由に走り回れない生活を送っているとも言える。
かりそめの楽しみに自由を感じ、その息継ぎで再び檻に戻る。

それでも良いじゃない。
時々愚痴でも言ってさ、疲れない程度に頑張ろうよ。

なんとなく、そうやって軽く肩を叩かれたような小説だった。

とりあえず、スローロリスが何なのか、wikipediaで検索たのは内緒。

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