『「1414」とは調和の仕組み ① 』
今回は前回の「1111」に引き続き、「1414」という4桁の数字について言葉遊び的に考察していきます。
僕の中ではとてもとても大切な「調和の仕組み」であり、複雑でもありますから「和す」ことと「学び」という視点から2回に分けて、図も交えながら考えていこうと思います。
いつも通り十人十色の視点の一つとしてお付き合いください。
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「1414」とは「いよいよ」であり、これからの世の立て替え立て直しに必要な「調和の仕組み」だと思っています。
【大日月地神示 後巻】「二十五」より
『神世とは、皆々喜びに生きられる調和の世界ぞ。生態系そのものでありますのぞ。』
「調和」つまり「和す」とは、お互いに認め合うこと、許し合うこと、あい(愛・合・相)し合うことであり、また、助け合い、導き合い、分かち合い、共に歩んでゆくことでもあります。
「和す」と言っても、御縁のある全ての人と仲良くなれれば理想的なのですが、現実は人それぞれに好みや癖があり、思考の方向性(ベクトル)が極端に違う人と仲良くなるのは中々難しいものです。
また互いの喜びとなることが前提なので、どちらかが我慢して合わせるとか、無理して仲良くなるということではありません。
もし方向性が違うのならば、お互いに趣味や主義の違いを認め合った上で「距離を置く」というのも一つの在り方です。
決して敵対視するとか、無視するのではなく、争わず、過干渉しないですむ心地よい距離を求め、共に在るということでも良いのだと思います。
それぞれ思考の似た者や仲の良い者同士が集まり、違う者は別々に暮らすならば、必要な棲み分けであり、大きくは生態系と見ることもできます。
その「距離感」を知るためには、まずは関わってみなければ分りません。
、、僕の中の「調和」とはそんな大雑把で曖昧なものです。
【「1414」とは? 】
【大日月地神示 前巻】「む」の巻より
【一四一四、いよいよじゃ。これらには、一つひねりいれてあるぞ。ようくお考えなされ。】
【大日月地神示 前巻】「や」の巻より
『いよいよとは、1414、一四一四である。5と5じゃ。五と五じゃ。五の意味、お分かり下されよ。真の秘密、いよいよじゃ。それ、㊉する御魂、お役となる。十○する意味、学びなされよ。』
『いよいよぞ。神人、これからは皆に伝える時期きたから、表に出て参るぞ。(中略)㊉するお役と伝えるお役じゃ。お伝え下されよ。これからは、皆々手取りおうて仲良うお進みなされ。これが、真のひふみ一厘、はじめの仕組みじゃ。いよいよじゃぞ。』
この「1414」や「一四一四」、「5と5」や「五と五」って何でしょうか?僕の中では「14」や「5」は「手」であり「身体」でもあります。
【「1414」とは握手? 】
「手」とは1本の親指と他の4本の指で構成され、5本指それぞれに役目があり「違う向き」で力を合わせ働くものです。
これが「14」であり「5」です。
数字や記号から見れば「1414」とは「5+5=五+五」⇒「10=十」です。
「握手」は2つの手(5と5=10本指)が○(和)してゆく(=⑩・㊉)という意味にも取れます。
手を合わせ握ることは、「手」が向かい合い、相することです。
そして「ひねりいれてある」とはそのまま「言葉に隠してある」とも取れますが、実際に合わさる思考エネルギーや力の向き、手の向きに「ひねり」が入っているとも取れます。
関係や新密度にもよりますが、つなぎ方によって呼び方も「握手」であったり、いわゆる「恋人つなぎ」にもなります。
しかし、どんなつなぎ方であっても調和を求めて手を合わせていることに変わりはありません。
また、もう少し軽く手を合わせる手段としては「タッチ」があります。
面白いことに英語で
「give me five(5)(片手タッチ・ハイタッチ)」
「high five(5)(片手ハイタッチ)」
「give me ten(10)(両手タッチ)」
などと言うのは、やはり手を「5」だと認識しているのですね。
今回「いよいよ=手を取り合う」と書いているのは、お互いに違いを認め、許し、理解し合えば和の元となるという「喩え」なのですが、実際に有効な手段でもあります。
【「1414」とはハグ? 】
「身体」も手と同じく「頭と手足四本(四肢)」の五芒星です。
手と身体は相似象であり、どちらも「14」であり「5」にもなります。
どんどん仲良くなり関係が深まれば、手を越えて大きく「身体で握手」するようになります。
いわゆる「抱擁、ハグ」ですね。
全身で「相し合う」「愛し合う」ということなのでしょう。
夫婦や恋人同士が抱きしめ合うだけでなく、たとえ相手が動物であっても、草木でも同じです。
手を触れたり撫でたりから始め、親密度が増せば次第に抱きしめるようになってゆきます。
【 深く浸透する㊉ 】
【大日月地神示 前巻】「も」の巻より
『艮金神、㊉することの意味、伝えるぞ。㊉するとは、他貴ぶ思いに至り、在ることぞ。』
調和の始まりは、他との「話」からかもしれません。
手を取り合い関係を深め「和」となります。
また和が周囲に広がってゆくにつれ「輪」とも「環」ともなっていきます。
共に導き合い、助け合い、分かち合う「喜びの共生」です。
和してゆくのは人間同士だけではありません。
己の魂と肉体、靈人皆様、動植物、自然森羅万象全てにおいてです。
実際に手を握り合えなくても、その「心=気持ち」で和すのです。
強く思えば仮に相手が靈体であっても、イメージで手を取り合ったり、抱きしめることができます。
縦(|)と横(―)のように違う向きが組み合わさり、調和した形である「㊉(あい)」のエネルギーは、僕たちの身体や心を満たし、次元を超えてもどこまでも深く浸透してゆきます。
そういった仕組みを元に、僕たちが認識できる近い次元世界を模式的に描いたものが「正十字に◎(=調和の記号)」なのかもしれませんね。
【 神示に見る「1414」 】
「いよいよ」「1414」の捉え方は多々あると思われますが、大日月地神示の中には今回の記事のように取れるところがたくさんあります。
【大日月地神示 前巻】「も」の巻より
『一切の者と手繋げる人民でなければ、これから先へは進めんぞ。』
『宇宙の御魂殿、(中略)どれだけ皆と仲良う出来るようになりたか、愉しみじゃのう。』
いくらでもあるので、数遊びで「5、10、14」から。
【大日月地神示 後巻】「五(5)」より
『人の世すべて変えて参りますから、他の星の人々共々、靈人共々、世界中のご縁ある人々共々、仲良く手繋いで新たな世お創り下され。』
【大日月地神示 後巻】「十(10)」より
『皆で手繋ぎおうて下されよ。世変える雛形、生み出して下されよ。』
【大日月地神示 後巻】「十四(14)」より
『立て替えがいありますぞ。真人集まりて次々と真人となりて、皆々手合わせて大きな和、心の輪繋ぎおうて、神靈人共に建て替え立て直しいたして参るぞ。』
せっかくなのでもう少しだけひねって深掘りしてみましょう。
「 14 ⇒ 41 」から。
【大日月地神示 後巻】「四十一」より
『世に現れし神人みなみな、真の靈団と繋がり真の繋ぎ役いたして、人民喜ぶ政出来るようにそれぞれに学ばして、時来たなら集いて話しおうて、和して進める世のありようじゃ。』
「14」を「1が4つ」と取れば「1111=王=神人」ともなります。
「1414」とは「王と王」の出会いと調和である、とも取れるのですね。
僕たちが大なり小なり、それぞれの地域の政いたす御魂となりて、導けるようにもっともっと他から学びなさいということでもあるのでしょう。
(※「1111」と「王」については『「おーうー」と1111』に書いています)
https://note.com/yukihiro1234/n/n3b310e7b149a
【「いよいよ」を置き換えて読む 】
大日月地神示には文中に「いよいよ」という言葉が幾度も出て来ます。
その「いよいよ」の部分を僕の中では「導き合う・手を取り合う・助け合う・力合わせる・和す・あいする」といった風に置き換えながら読むと、しっくりくる場合が多々あります。
もちろん素直に「ますます・とうとう・ついに」などの方が良い箇所もありますけどね(笑)
神示には御魂相応に八通り(十人十色、百人百色)に読めると書いてありますが、この「いよいよ」に限らず、そこにある文字や記号に対してどのように意味(イメージ)を振るかで、無限に変化する書です。
そこにイメージできるものは己の知識や経験ですから、何度も何度も読み、己が成長するに従い、一つの文字、文章に対して「複数の意味」が浮かぶようになってくるのだと思います。
千回読めば千の教えを得る、といった感じなのですかね。
また同じ文章でも、身の回りの出来事に思えたり、国のことであったり、宇宙へのメッセージであったりと、当てはまるものがどんどん変わります。
全ては相似象であり、己は宇宙の雛形なのですから、当然なのかもしれませんが、やはり不思議ですね(笑)
そしてあちこちの文章や己に起こる出来事がつながってゆき「あぁ、これも伏線だったのか、、」といった風にパズルのピースが少しずつはまり、神示の受け取り方が変わるのも、日常に対する視点が変わってゆくのも僕の楽しみの一つです。
僕の「1414」に対する思いも、次々と変わってゆくのかもしれません(笑)
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こうやってわざわざ「いよいよ」として認識しなくても、また神示とは御縁が無い方でも、色々な形で「調和」を大切にされている方は世にたくさんいらっしゃると思っています。
また、自ら手を差し伸べ○してゆくのか、それとも手を振り払っては何度でも繰り返し顕れ見させられ、永い期間の内に十分な経験を得て変わるのかも、それぞれがどんな選択をしても良いのでしょう。
そういう僕自身の調和はまだまだ薄っぺらく、偉そうに書ける器ではありませんが、こういった場をお借りして反省と整理整頓させて頂きながら、もっともっと和せるよう変わってゆきたいと思っています m(_ _)m
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さて、次回は「1414」を学びの面から考えていこうと思います。