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第51回『 「人と神」の違い 』~器の違いと思考の情報量~

今回は思考の視点から『人と神の違い』などを考えていこうと思います。
これらも色々な考え方捉え方があると思いますので、いつも通り十人十色の視点の一つとしてお付き合いください。
(※画像はフリー素材などからお借りし、加工しています)



【 器によって扱う思考情報量が違う 】

僕たちは、この「人間という器」をお借りしているから「人」です。
異次元的には靈(魂)なので人靈(靈人)とも言いますね。

人は動物の中でもかなり高度な思考を持つ生き物です。
もちろん他の動植物も思考しますが、量や深さが違います。


人よりもっともっと大きな器、「星」で学ぶ存在もいます。
星は「神」ともされますから、神靈しんれい御魂みたま)といったところでしょうか。

その「神」とは、いったいどれほどの思考情報量を持つのか、いくつか身近な「器」を参考に考えてみようと思います。



〔 岩ならゆっくりと学べる 〕

例えば、岩(石)といった鉱物は器として長寿であり、丈夫で安定しています。
しかし、動けない、山や土の中などで「出会いや、思考情報を得る機会が少ない」といったデメリットもあります。

人として生きることに慣れてると、暇を持て余しちゃいますね。


ですが「魂の素」のような思考の初心者であれば、ゆっくりじっくり時間をかけて情報を得るくらいが丁度良いかもしれません。

ほんとは喜怒哀楽とか無いけど、イメージで、、、


そのゆっくり具合を、岩の寿命を仮に『1億年』として考えてみましょう。
(※海外から輸入している花崗岩は10~25億年の物が多いらしいです)


僕たち人の寿命を100年とすると、岩の寿命は100万倍です。

つまり僕たちにとっての1日は、岩なら100万倍、つまり100万日(2700年以上)に相当します。

世界一長いとされる日本国の歴史も、釈迦が生まれたのも、キリスト教も、たった「1日」の内のことですね。


そして、人であってもずっと思考しているわけではなく、ぼ~っとすることもありますから、岩の器で学ぶような初心者なら、何百年も刺激が無くても大丈夫かもしれません。


また同じ岩でも、磐座には人が集まって祈り、想い(念・情報)を残してゆき、石橋や石垣などに加工されれば、人と触れ合う機会も多くなります。

磨かれ「きらめく宝石」ともなれば、喜び以外にも、羨望やお金の絡んだ邪念も渦巻いているかもしれませんね。



〔 星の寿命は人の1億倍 〕

それでは「星(地球)」についても同じように考えていきましょう。

まずは寿命、とんでもなく長いです。

地球の寿命を仮に100億年とすれば、人の寿命の1億倍。
つまり星の「1日」とは、人の27万年に相当します。

ホモサピエンス(現人類)の歴史が20万年と言われますが、それも地球にとっては「たった1日」の内のことなのですね~。

(※化石などから30万年前説もありますが、遺伝子的には繋がっていない可能性が高いようです)



〔 地球の情報量は人の〇〇億倍? 〕

そして、同時に扱う情報量も桁外れです。

過去には色んな時期があったようですが、今の地球は多くの生命で溢れています。

人類だけでも80億人。
さらに多種多様な動物、植物。

それら多くの御魂から生まれる「思考情報」は、整理されながら地球に集まっていきます。

僕たちが心に「思考という生きもの」を迎え入れて学ぶように、地球は僕たちに身体を貸して情報を得ているのです。

他にも星同士のやり取りもあるし、微生物や草などの一部は集合意識であったりと、単純に「人の何倍」などとは言えませんが、とにかく途方もない情報量ですね。


そして、地球はずっ~とこの先も、膨大な情報を集め続けてゆきます。


あまりにスケールが大きい地球。
僕は、この情報量だけでも「神」と言いたいです (^^♪

(※個人的な感想ですが「人々の信仰が生んだ神」とはまるで違います)

「喩え」なら、そう言わなきゃ勘違いするよね



〔 もっと大きな「神」もある 〕

例えば「太陽系」。
太陽」という大きな輝く星(恒星)をリーダーとし、惑星8、準惑星5、衛星870、彗星4500以上、小惑星140万個以上、それら全てが一つのチームとなって、銀河の中を移動しています。


銀河」には、太陽系のようなチームが 数千億個 もあります。


宇宙」には、その銀河が 数兆個 もあるそうです。


宇宙にある全ての星が、地球のように生命体だらけとは限りませんが、それぞれの星で生まれた情報は、上のグループへ、上のグループへと整理されながら集まっていきます。

「宇宙」ともなると量がすごすぎて、イメージできません (*_*;



〔 では、「山」という神は? 〕

最後に、例えば「山」といった「自然の神」。

大きな鉱物であり、大陸の一部でもありますが、星より小さく、そこから岩や土が生まれ、人々に恵みを与え、多くの動植物が棲んでいます。

「火の神」「水の神」「風の神」などもあり、理解しづらいモノです。


というわけで、
『自然神、例えば「山が神である」とはどんな感じなのでしょうか?』
と指導靈に聞いてみたところ、

もしもあなたが山だったらどう暮らしたいか、深く考えてみなさい
という答えでした。

イメージする=チームの思考を受け取ること


僕なら、、、
理想は、土や水を浄化し循環させて、山に生きる全ての動植物、生まれた岩なども愛し愛されながら、その喜び、地球と太陽のエネルギーを頂きながら暮らしたい。

でも実際には、山にも大小、暑い寒い、海沿い内陸、岩の質とかあるし、削られたり、噴火したり、隣の山とケンカしたり、いろいろ嫌になることもあるだろうな~。

う~ん、理想通りには行かないかもしれないけど、まぁ長い寿命、とりあえず頑張る、、、 かなぁ?


、、、あれ? これって「人」と同じなのでは?


生まれも、姿形も違う個性的な身体たち。
そして、肉体に暮らす多くの微生物、細胞や臓器もみんな生きものです。

「人の身体」は生命と喜びを育む「仕組み、顕れ=神」。
山の「雛形」でもあり、海や大陸、星や銀河宇宙もすべて同じこと。


どの器であっても、身の毒を減らし環境を整え、自愛と他愛の中で、内にも外にも喜びを生み出すよう暮らせるか、ということなのでしょう。


人である僕たちは、今の器で丁寧に生きることが、いつか大きな神の器を借りる予行演習なのかもしれませんね。


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さて次回は、他にも「小石や砂も何かの身体なのか?」「肉体は生きているってどういうこと?」など「疑問」が出たので、教わったことをメモ的に記録しておこうと思います。
よければまたお付き合いください(*^_^*)




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