インド、ナガランドのナガを調べている間に新たに知った事。
20240519 ナガランドのナガと言う呼称調べながら分かった事。
インド北東部ナガランドでは、14の言語と17の方言がある、と言われています。しかし、ナガ系の民族は、現在のナガランドだけにいる分けではなく、周辺の別の州や、ミャンマーにも住んでいます。
ナガと言うと、ヒンディー語やサンスクリット語で「蛇」を表しますが、ナガランドのナガとは別物なのか?ナガとは何を意味するのでしょうか?
言語学的には、この語源に関して、幾つかの説がある様です。現在使われているナガランドと言う言葉は、イギリス人が、インド支配の際、英語の「-land」と言う語尾を添え、造語した言葉の様です。実は、このNagaの語源には定説は定まっておらず、論争中、との事です。
ビルマ語の Naka に由来する、とする説。意味は、「耳飾りをした人々」。
サンスクリット語の nāga とする説。意味は「蛇」。
現地に派遣されたキャプテン・ジョン・バトラー(John Butler、1870-1872 頃、現在のナガランド付近に勤務・アッサムで死亡)によれば、ベンガル語の Nangla 、或いは、ヒンドゥスターニ語の Nanga であり、意味は「裸、粗野、野蛮」。
イギリス生まれで後にインド国籍を取得した人類学者Verrier Elwin(ヴェリエ・エルウィン)によれば、ナガの語源はチベット語やビルマ語の一部で使われるNok であり、意味は「人々」。
なお、この3. に関連して、キャプテン・ジョン・バトラーは、イギリスの植民地支配を行う政治的代理人であった様ですが、1876年に戦いの際受けた槍による傷のため、33歳の若さで亡くなったとの事。彼は、ただ単に冷徹な植民地支配執行者ではなかった様です。彼は、当時未開であったナガ族の人々の文明化に尽くした人であった様であり、ナガ族の尊敬を受けていた、との事。調べられるネットによる文献が少なく、彼の人物像迄深く立ち入る事が出来ず、残念です。現地の人々のために尽くした勇気ある献身的な人物であった様です。
アッサムの地を広く統治していたカムルプ王国(Kamrup kingdom)の言語が、印欧語族であった様で、ベンガル・ヒンドゥスターニ語との関連性はあるのかも知れません。ただ、この王国は後に、シナ・チベット語族のアホム(Ahom)族に吸収されており、その際、ナガに関する呼称をアホム族が使用したかも知れません。それが、後の征服者であったイギリス人に伝わった、とも考えられます。但し、これは飽くまで私の推論です。
なお、現在のナガ人は、この由来について、正しいかどうかは別にして、嫌がっている、と言う事です。
上記の4. に出て来ます人類学者・民俗学者Verrier Elwin(ヴェリエ・エルウィン)は、1902年生まれ、1964年に亡くなっています。イギリス生まれですが、1935年にガンディーのアシュラム滞在後、ヒンドゥー教に改宗。1954年にインド国籍を取得し、インド人となった様です。彼は、NEFAと言われる北東辺境管区(North–East Frontier Agency) の諸部族についても研究。1945年に設立されたインド人類学調査の副ディレクターとして勤務。ジャワハルラール・ネルー首相は、彼を北東インドの部族問題の顧問に任命。彼の民族に関する研究により、独立後のインドで、民族独自の文化の重要性が強調される様になった、と理解されます。
現在も、ナガと言う呼称の由来は何であるのか、研究中である、との事ですが、上記のインド民族文化に視点を当てた人々の研究は偉大である、と思います。
追記:インド言語現状調査。People's Linguistic Survey of India. 全巻50冊。新聞に発表された調査結果によれば、インドには780の言語があり、66の書記体系があるそうです。北東部の州アルンナチャル・プラデシュだけで90の言語がある、と言います。これだけ言語が多様ですと、ヒンディー語優先政策は不人気です。英語が共通公用語であるのもむべなるかな、と思わざるを得ません。デリー市の書籍出版社のある地域で、この本を見つけました。
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