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トリプラの多言語状況を南河内郡太子町から見る。 AI利用のポテンシャル。

トリプラの言語状況とAI利用を交えたコメントです。

中世のインド北東部には、ヒンドゥー教を信仰し、コク バラ語(K o k b r o k )を話 すトリプラ王 国 が 存 在しまし た。1877年、イギリスのヴィクトリア女王が植⺠地帝 国インドの皇帝となりました。1877年のイギリスによ るインド統治開始後、トリプラは藩王国として位置づ けられました。

イギリスによるインド統治は、トリプラを含む北東イン ドの多様な⺠族(人々は移動もします)、言語、宗教な ど地 域 や ⺠ 族 によって異 なる影 響を与えました。特 に、経済的な利益を優先する植⺠地時代のイギリス の 政 策 は 、トリプラ地 域 、ひ いては 北 東 インドの 社 会構造や文化に大きな変化をもたらしました。

イギリスは、鉄道や道路などのインフラ整備、教育制 度の導入、法制度など、現代インドの基礎となる諸制 度を導入し、インドもその重要部分を吸収して来まし た。しかし、これらの政策は、必ずしもトリプラ地域の ニーズに合致していたわけではなく、地域の伝統的な 生活様式を衰退させる側面もありました。

現代のトリプラにおいては、イギリス植⺠地時代の統 治の遺産が複雑に絡み合っている様です。⺠族間の 対立、言語問題、経済格差など、様々な問題が根深く 残っており、地域社会の安定を脅かしています。

植⺠地統治時代のイギリスのインド支配は、隣接する ビルマにも及んでいた事もあり、より複雑な問題もあ る様です。現在のビルマのアラカン地方の住⺠の多く が、トリプラに移住している、と言う歴史もあります。ト リプラの茶葉プランテーションで、アラカン地方出身 者が労働に従事しました。また、ビルマの政治的不安 定さから逃れて、トリプラへ移住したアラカンの人々も いる様です。この分野の研究を行なっているミャンマ ー人の学者がいる、との報道もありました。

ミャンマーにおけるアラカンの地理関係

多様な言語社会で共通に使われる英語の意味は大 きいと思います。しかし、英語を強要する事で、固有の 言語が衰退してしまったら、どうなるのでしょうか。⺠ 族固有のアイデンティティ、コミュニティー意識の喪失 は憂慮すべき事もある思います。

1 9 4 7 年 、インド及 び パ キス タンが独立。東パキスタンか ら多くのベンガル系住⺠流 入 により、トリプラの 言 語 状 況 は 大 き く 変 化 し ま し た 。ベ ンガル語話者人口の増加 は、伝統的な言語であるコク バラ語話者の減少を招き、 1990年にはトリプラ紛争へ と発展しました。

現在のボド語を話す人々が 住む主な地域は、アッサム 州 、⻄ ベンガ ル 州 、ネ パ ー ル で す 。コ ク バ ラ 語 が 話 さ れ て い る ト リ プ ラ は 、北 東 イ ン ド の 東 南 部で、バングラデシュ の 東 部 と 接 す る 辺 り で す 。現 在、ボド語を話す人々の多い 地域からは、かなり離れてい ます。しかし、コクバラ語 は 、 ボド語と親 戚 関 係 にある、 と見られています。

北東インドの言語状況は非 常に複雑です。この地域には 、シ ナ ・ チ ベ ッ ト 語 族 の チ ベット・ビルマ語派(チベット語 、ビ ル マ 語 など )とオ ーストロアジア語族(モン・クメー ル語族など)の影響を受け た言語が混在しています。コクバラ 語 は 、チ ベ ッ ト ・ ビ ル マ語派に属し、ボド語と近縁 北東インドにおけるコクバラ語の分布。 関係にあります。ボド語の系統 の 言 葉 が 、北 東 インドに 散 在して います。しかし、 これらの言語の系統分類については、まだ研究中の 様です。

多言語社会における教育補助ツールとしてのAI、そし て、日本人として学べる点。

インドの様な多言語社会でのそれぞれの母語教育、 共通語としてのヒンディー 語・英 語 の 習 得 など、地 域 文化の担い手の子供達には負担が大きいかも知れま せん 。発達しつつあ る A I の 適 切 な 運 用 に よ り 、コ ミ ュ ニケーション・ギャップはかなり解決する、と思われます。ただ、それぞれの言語集団、⺠族集団に取って、固 有 なアイデンティティ、文 化 的 感じ方 の ニュアンスな どの違いを埋めるのには、現時点ではまだ無理があ る、と思います。

しかし、教育手段としてのAI併用は避け難いのではな いでしょうか。勿論、AIのその都度の限界を認識しつ つ、AIの伝達内容の正しさや個人秘密保持安全性に 関する確認が前提であり、慎重な見極めのための何 らかの規則・規制は必要と思います。

単一言語使用でほぼ事足りる、今の日本人には分か り難い事情がある、とは思いますが、日本人も初期の 教育段階から、外国語教育だけではなく、教科全般に 適 切 な 補 助 手 段としてのA I 利 用 が 、今より重 要 にな る、と思 います。A Iと人 による人 間 的 配 慮 のある教 育

の最適マッチが重要であり、今後更に複雑化する国 際社会情勢の中で、自分と異なる宗教を含む文化・常 識・政治・倫理・科学的アプローチを理解する重要性、 そして、自分の主張を正しく伝える必要性はますます 増すと思います。勿論、母国語教育が外国語教育より 優先されるべきである事は当然と考えます。又、ここで は 、教 師 の 役 割 の 再 定 義 、ファシリテ ーターとしての 役割が重要と考えます。与えられた情報の偏りにより、 AIが間違がった結論を出す可能性は高いと思いま す。その際、誰がどこ迄どんな責任を負うのか、と言っ た法的・倫理的基準が必要であると思います。

日本人の今後のコミュニケーションのあり方を考える 際、インドの多言語社会の実情を知る事は有意義な 事と思います。言語的に類似性のあるヨーロッパ内で の多言語共存とは違う意味で、インドの具体的事例を 知る事で、日本で今後起きるであろう、異文化との接 触の中で生まれる可能性のある問題のパターンを認 識し、準 備 するべきであると思 います。既 にイン バウ ンドで、多くの国籍の人々が日本へ押し寄せて来てお り、良い面もあると思いますが、かなり複雑な文化的 トラブルや誤解が生じているのが現状である、と思います。

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