騒がせ屋のこころ
芸能人がなくなると、まるで親族のように
ビックリし、いち早くSNSに投稿して冥福を祈る。
確かに熱烈なファンはそうするかもしれない。
すると思う。
でも、SNSには投稿しない。
ひたすら、黙って悲しみと戦うだろう。
投稿するのはファンでもない、ただの驚かせ屋。
こんなことが世の中に起こったという騒がせ屋。
なぜだろう?どうしてだろう?
惜しい人をなくした、貴重な人をなくした。
信じられないという言葉を連発し、今まで、そんなに好きだったか?と
思わせるかように、この事態を今の騒動や環境問題、国の問題、
地球の問題にすり替えて、大事(おおごと)にしていく。
原因を自己予想しながら、素性も知らない人とネット上でやりとりして
自分たちでも意見の違いで騒ぎ出す。
なぜ、そんなことをするのか。
自己顕示欲が強い。
栄光欲、栄光浴で気持ちがよくなりたい。
批評することによってしか自己の存在を確認できない人たち。
でも、根っ子の部分は本人の自己満足度や自己肯定感が低く、
心が穏やかでないから。
楽しいいことがないから。
楽しいことを見つけられないから。
対岸の火事をみて騒ぎ、消しに行こうともせず、
火事の様子をみんなに語るレポーターと同じ。
なんでもかんでも自分の情報を拡げていくお騒がせ屋。
そんな人の多くは、めだたないように生きている
ごく普通の人と呼ばれる人。
言論の自由を理由にして、自分で自分の手綱を握れない人たちが増えている。
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