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「ほととぎす」と「初鰹」

7月に入り、さすがに鎌倉も、もうそろそろ「ほととぎす」の鳴き声も少なくなってきた。

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の句は、鎌倉で芭蕉の友人としても有名な江戸時代前期の俳人、山口素堂が、目にも鮮やかな「青葉」、美しい鳴き声の「ほととぎす」、食べておいしい「初鰹」と、春から夏にかけ、江戸の人々が最も好んだものを詠んだもの。
江戸の初鰹は鎌倉あたりの漁場から供給され、「相州の初鰹」として珍重され、江戸まで早舟で届けたといわれている。
松尾芭蕉も「鎌倉を 生きて出でけむ 初鰹」と詠んでいる。

「初物七十五日」(初物を食べると寿命が75日のびる)といわれていて、初鰹も同様で、「初鰹を食べると長生きできる」とされ、「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」と言われるほどの人気だったという。
当然、「初鰹」は極めて高価で「まな板に 小判一枚 初鰹」(宝井其角)という句もある。

その素堂の句に、初鰹と共に詠まれている「ほととぎす」は、何かと比較される戦国の三英雄の武将の性格を表した有名な句に詠まれている。

「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」(信長)
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」(秀吉)
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」(家康)

実際に本人たちが詠んだわけではないだろうが、江戸時代中期から後期にかけての旗本・佐渡奉行、南町奉行を歴任した根岸肥前守鎮衛の著作「耳嚢(みみぶくろ)」と、江戸時代後期、平戸藩主松浦静山の著作「甲子夜話」中に記されていて、広く人口に膾炙するところとなる。

目的を達成するために、役に立たないのなら殺してしまえ、役に立つように無理やりでもする、役に立つようになるまで待つ・・・、という三者三様のいかにもな個性が表れているので、長く語り伝えられるところとなったのだろう。

なんだかこの、「鳴かぬなら 〇〇〇〇〇〇〇 ほととぎす」で、〇の中にいろいろなパターンを入れて、どれを選ぶかで性格判断ができそうだね。あくまでも適当だけれど(笑)。

「鳴かぬなら僕が鳴きますホトトギス」というのインターネットに引っかかった。
なんかサラリーマンの悲哀を感じる句?

それ以外にいろいろ作ってみる。
「鳴かぬなら それでもいいよ ほととぎす」
「鳴かぬなら 勝手にすれば ほととぎす」
「鳴かぬなら 恋でもしよう ほととぎす」
「鳴かぬなら そのわけ話せ ほととぎす」
「鳴かぬなら どこにいるのか ほととぎす」
「鳴かぬなら 笑ってみるか ほととぎす」

どれが自分の心境にぴったりくるかで性格テストなんちゃって・・・。

最後に「鳴かぬなら 子規も名変える ほととぎす」。
「ほととぎす」は漢字表記や異名が多い。「子規」もまた「ほととぎす」のこと。
正岡常規(つねのり)は、若くして肺結核にかかり21歳のとき、はじめて血を吐いた。
「キョキョキョ」と鋭く切り裂くような鳴き声と、また口の中が赤いのでそれが血のように見え、「鳴いて血を吐くほととぎす」と言われたりしていたので、自分の俳号に、「子規」とつけた。
彼はさっぱりとした性格だったそうで、そうやって自分に迫ってきたその暗い翳をあかるく吹き飛ばしてみせたかったのかな。

*「鳴いて血を吐くほととぎす」は、古代中国の故事や伝説に由来しているそうだ。
ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」はそれに該当する。

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